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高校英語教師の授業日記

思ったことなどを時々書いてます
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教育への思い
2005年 06月 09日 |
以前からずっと感じていたことではあったが、教育にたいする意見を述べるとき、意見以上にその人自身の「思い」のようなものが、時には感情的にすら思えるほど込められるのはなぜだろうか。自分自身が、まだ自分の感情をうまく言葉にできない頃に受けてきた理不尽な思いをやっと話せるときが来た、という気分が作用するのだろうか。または次の世代には自分が受けてきた教育よりももっといい教育を受けてもらいたい、という切なる思いが働くためであろうか。

昨日も西新宿の聴講に行った。昨日も大変有意義な100分であったのだが、そのお話の中でやはり先生もそんな気持ちを持っていらっしゃるのかなあと感じたのだ。

詳しくは、面白い話だったのでもったいないから書かないが(ひどいですか?笑)「中学生に英語を教えるとしたら、発音の面に置いてはこういうことを重視した方がいいのではないか」ということや、「類型論的視点が教育の場面に生かされていることは現在ないけれども、これからそういうことがあってもよいのではないか」というようなことであった。

教員になりたてのころの私は、今よりももっと自意識過剰であったこともあり、そういうことを言われるのが本当に辛かった。あれもこれも、って、そんなにできないよ!!私だって精一杯やってるよ!!どうしてわかってくれないの!?って感じだった。でも今は幸い年も取ったので(こればっか)、大変示唆的なお話だと受け取ることができた。でもやっぱり一方で少し息苦しさも感じた。これ以上はできない・・もう辞めた方がいいのかな・・という思い。

生徒がかわいくなればなるほど、きちんとした授業をしなければいけないと思う。でもそのためには自分もきちんと勉強してなければならない。今教えていることが一体どういうことに結びついていくのか、なんのためにこの単語を覚えさせるのか、他のことを犠牲にしてこれをやらせるその意義は何か、そのようなことをわかっていないのに教えることは不誠実ではないか、という気持ち。だから担任なんてやりたくない。そんなものやったら生徒のいろいろな心の問題とか生活の問題とか、もっと大きく言えば人生の問題に関わって行かなくてはならない。勉強なんかできない。さらにいえば、校務分掌もやりたくない。学校のシステムや教育課程を説明した冊子を作ることなんてどうでもいい。印刷用紙を補充する暇があったら、少しでも教材研究をすべきではないかと思う。

でも、人に相談すると、「担任をやってこそ教育じゃないか?」という人もいる。そしてそういう意見を言ってもらうときにも、やはりその人自身の「思い」が見え隠れし、私はとても疲れてしまう。狭いなあ・・

教育についてみんながあれこれ言うことはとても大切なことだと思いつつ、「うるさいよ、ちゃんと考えてるんだから放っておいてよ」とも思ったりしてしまう。他の職種の人もそうなんでしょうか?

授業の話も書きたかったのだけど、また改めます。
by blogbebe | 2005-06-09 20:16 |
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