いつも「投げかけて終わる」系ですが・・
2004年 08月 02日
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ブログを初めて2ヶ月ほど経ちましたが、思い返してみるとなんだかいつも「これはどうなんだろう?」と投げかけて終わっている感じがします。ま、それで答えがすぐに出たら前代未聞のすごい研究者になっているはずで、そんなことは不可能なんですけどね。せめて、ここで投げかけることをきっかけにきちんと考えてきたい、ということはいつも思っています。
で、今日も投げかけて終わりそうな気配なんですが・・(苦笑)
今日学校で読んだのは、引き続き同じ本で残していた章、「他動性と構文I : プロトタイプ、拡張、スキーマ」中村渉著。これは、ちょっと難しそうだったので敬遠してしまったのですがやっぱりちょっと難しかった。・・・っていうか、問題提起と結論は分かるのですが、途中で引き合いに出されていたRRGとDowtyのプロトロール・モデルの話がなんだか分かりにくくて、文字面を追っても頭に入って来ないパターン。だからちゃんと理解したとは言いがたいのですが・・。
この章では、「他動詞」とか「他動性」というものを分析した理論はいろいろあるけれども、結局なんなんだ!ということを解き明かそうとした章です。日本語の「ジョンがトムを走らせた」と「ジョンがトムに走らせた」という文では、「に」と「を」という格助詞の違いで、トムがどのくらいジョンに強制させられたかという度合いが変わってきますが、これは日本語だけでなくて他の言語にもあるんですね。朝鮮語とかスペイン語、フランス語ケベック方言などにあるそうです。
そういう、動作を受ける側にどんなマーカーが付いているかということもありますが、それだけでなくてHopper & Thompson(1980)という論文で有名な、他動性のモデルというものもあります。これは例えば文の中の参与者が一人しかいなくて、自動詞が使われている場合はもちろん他者に対する動作というものはなくなってくるので「他動性が低い」し、逆に主語と目的語がきちんとあるいわゆるSVOの文では他動性は高くなりますが、そういう他動性の高さというものを様々な観点(動詞のアスペクトとか主語の意志性とか・・)から見てみようとしたものです。
しかしこれには反例があるという事実があり、それをみるとこのモデルは完璧ではない。で、DowtyとRRGも検討しているのですが、これがちょっと難解・・理解してしまえばどうということはないのかもしれないのですが、慣れないために難航。
しかし結論を見てみると、結局は他動詞というプロトタイプを設定する方法と、その事例と拡張した事例の共通性を引き出したスキーマを設定する、その両方は矛盾するものではなく、同じものを違った側面から見ているだけのことであり、どちらかのパラメータを使うべきとかそういう問題じゃないんだ、ということで結論づけている。
しかし・・・
途中、理解できない部分がいくつかあったので何ともいえないのかもしれないが、結局、他動性というのは何なのか、ということは今ひとつ分からずじまいだったような気がします。いやむしろ、他動性とは何かということを追求することよりも、例えば日本語と英語では他動性というものに関してどう捉え方の違いがあって、それは一体なぜなのかというようなことが知りたいなあと思いました。しかし、この論文の目的はそこにはないわけで、そういう意味では様々な他動性に関するアプローチを分かりやすく(ないところもあったけど)検討しているという点ではとても貴重なものであることは確かだとは思いました。
でも、私の力ではHopper&Thompson止まりだったので、あまり意味なかったのかも(^^;;
しかし先ほども書いたように、どんな言語にも対応できるルールというものを考えることによって、人間の営みとか思考回路のようなものが明らかになってくるであろうということの魅力はあるけれども、やっぱりそれ以前に日本語なら日本語、英語なら英語がある現象を言語化するときにどのような違いがあるのかということも考えなくてはならないし、もっといえばそこから見えてくるものの方が間違いがないんじゃないか・・とさえ思ったりします。なぜなら私は日本人であり、日本語での感覚からしか見れないわけですから・・・。
たとえばちょっと話はそれますが、他動詞でいえば最近私が気になる日本人の言葉遣いに、「〜を楽しむ」というものがあります。
「明日の旅行、楽しんできてね」なんてメールなどに書かれると、「ありがとう」と返事を出しながらも「なんか、違和感〜」と思っちゃいます。だって、「楽しんで」なんていわれると、本当は楽しくないのに楽しくしようと努力することを推奨されているような気がしませんか?楽しさって、私の感覚からいうと外側からやってくるものであって、「昨日の旅行は楽しかった」とは言えるけど、「昨日の旅行を楽しんだ」というのはなんかとても変ですよね。本当は嫌いな人も来ていたから楽しくなかったんだけど、それじゃあ損だから楽しんじゃったわ、みたいな。
でも辞書で「楽しい」と引くとenjoyableとか言うのが出てきてしまって、一般的にはこれよりやはりenjoyを使いますよね。で、enjoyを見ると「楽しむ」とかいう和訳が書いてあって、そうするとそういう風に訳すことが普通になってしまう。
カナダに何年も留学していた友人が、よくメールの最後に「良い週末を!」とか「良い夜を!」とか書いてくれるのも、他動性とはちょっと違うけどやっぱり違和感・・・そういわれると、「えーっ、なんかしなくちゃいけないの?」って気になってちょっとドキッとするんです(^^;良い週末とか良い夜というものは自ら求めるものではなく、状況が自然とそうなって行くものであるというような感覚があるからだと思います。
すぐには思いつかないけど、こういう例ってたくさんあると思います。
年のせいかなーと思うこともあって、私の妹とかはさきほどの「楽しむ」なんて平気で使うし、「良い週末を!」みたいなのも若い人はわりとすんなり取り入れたりしてます。でも私はダメ。。自分では絶対に使えない。
さあ、また結論が見えなくなってきた(笑)。
ということで投げかけて終わります(何を投げかけているかも不明?)
とりあえず機会があったらいつか(←こんな言い方だからたぶんやらない)、RRGとか見てみようかなーなんて思ってみちゃったりして。たぶん無理。
でも前回書いた坪井先生の論文の参考文献にあがっていた坪井(近刊)がさっき届いたので(「朝倉日本語講座 文法II」尾上圭介編)、明日はこれだな。でも高かった・・4600円もした。ハードカバー。ペーパーバック(って日本の本は言わない?)でいいのになあ・・。
↓この前、同僚の家にお土産に持って行ったパティスリータカギのロールケーキ。もうめっちゃ、ほんとにマジで、涙出るほどおいしかった。生クリームたくさんなのに、あっさりしていて甘さも程よく、もう本当に絶品。4人で一本食べましたが「こんなに大きいのにぺろっと食べちゃった」「ほんっっとにおいしいね」と絶賛でした。一人一本いけるかも?・・・もったいないけど(^o^)
で、今日も投げかけて終わりそうな気配なんですが・・(苦笑)
今日学校で読んだのは、引き続き同じ本で残していた章、「他動性と構文I : プロトタイプ、拡張、スキーマ」中村渉著。これは、ちょっと難しそうだったので敬遠してしまったのですがやっぱりちょっと難しかった。・・・っていうか、問題提起と結論は分かるのですが、途中で引き合いに出されていたRRGとDowtyのプロトロール・モデルの話がなんだか分かりにくくて、文字面を追っても頭に入って来ないパターン。だからちゃんと理解したとは言いがたいのですが・・。
この章では、「他動詞」とか「他動性」というものを分析した理論はいろいろあるけれども、結局なんなんだ!ということを解き明かそうとした章です。日本語の「ジョンがトムを走らせた」と「ジョンがトムに走らせた」という文では、「に」と「を」という格助詞の違いで、トムがどのくらいジョンに強制させられたかという度合いが変わってきますが、これは日本語だけでなくて他の言語にもあるんですね。朝鮮語とかスペイン語、フランス語ケベック方言などにあるそうです。
そういう、動作を受ける側にどんなマーカーが付いているかということもありますが、それだけでなくてHopper & Thompson(1980)という論文で有名な、他動性のモデルというものもあります。これは例えば文の中の参与者が一人しかいなくて、自動詞が使われている場合はもちろん他者に対する動作というものはなくなってくるので「他動性が低い」し、逆に主語と目的語がきちんとあるいわゆるSVOの文では他動性は高くなりますが、そういう他動性の高さというものを様々な観点(動詞のアスペクトとか主語の意志性とか・・)から見てみようとしたものです。
しかしこれには反例があるという事実があり、それをみるとこのモデルは完璧ではない。で、DowtyとRRGも検討しているのですが、これがちょっと難解・・理解してしまえばどうということはないのかもしれないのですが、慣れないために難航。
しかし結論を見てみると、結局は他動詞というプロトタイプを設定する方法と、その事例と拡張した事例の共通性を引き出したスキーマを設定する、その両方は矛盾するものではなく、同じものを違った側面から見ているだけのことであり、どちらかのパラメータを使うべきとかそういう問題じゃないんだ、ということで結論づけている。
しかし・・・
途中、理解できない部分がいくつかあったので何ともいえないのかもしれないが、結局、他動性というのは何なのか、ということは今ひとつ分からずじまいだったような気がします。いやむしろ、他動性とは何かということを追求することよりも、例えば日本語と英語では他動性というものに関してどう捉え方の違いがあって、それは一体なぜなのかというようなことが知りたいなあと思いました。しかし、この論文の目的はそこにはないわけで、そういう意味では様々な他動性に関するアプローチを分かりやすく(ないところもあったけど)検討しているという点ではとても貴重なものであることは確かだとは思いました。
でも、私の力ではHopper&Thompson止まりだったので、あまり意味なかったのかも(^^;;
しかし先ほども書いたように、どんな言語にも対応できるルールというものを考えることによって、人間の営みとか思考回路のようなものが明らかになってくるであろうということの魅力はあるけれども、やっぱりそれ以前に日本語なら日本語、英語なら英語がある現象を言語化するときにどのような違いがあるのかということも考えなくてはならないし、もっといえばそこから見えてくるものの方が間違いがないんじゃないか・・とさえ思ったりします。なぜなら私は日本人であり、日本語での感覚からしか見れないわけですから・・・。
たとえばちょっと話はそれますが、他動詞でいえば最近私が気になる日本人の言葉遣いに、「〜を楽しむ」というものがあります。
「明日の旅行、楽しんできてね」なんてメールなどに書かれると、「ありがとう」と返事を出しながらも「なんか、違和感〜」と思っちゃいます。だって、「楽しんで」なんていわれると、本当は楽しくないのに楽しくしようと努力することを推奨されているような気がしませんか?楽しさって、私の感覚からいうと外側からやってくるものであって、「昨日の旅行は楽しかった」とは言えるけど、「昨日の旅行を楽しんだ」というのはなんかとても変ですよね。本当は嫌いな人も来ていたから楽しくなかったんだけど、それじゃあ損だから楽しんじゃったわ、みたいな。
でも辞書で「楽しい」と引くとenjoyableとか言うのが出てきてしまって、一般的にはこれよりやはりenjoyを使いますよね。で、enjoyを見ると「楽しむ」とかいう和訳が書いてあって、そうするとそういう風に訳すことが普通になってしまう。
カナダに何年も留学していた友人が、よくメールの最後に「良い週末を!」とか「良い夜を!」とか書いてくれるのも、他動性とはちょっと違うけどやっぱり違和感・・・そういわれると、「えーっ、なんかしなくちゃいけないの?」って気になってちょっとドキッとするんです(^^;良い週末とか良い夜というものは自ら求めるものではなく、状況が自然とそうなって行くものであるというような感覚があるからだと思います。
すぐには思いつかないけど、こういう例ってたくさんあると思います。
年のせいかなーと思うこともあって、私の妹とかはさきほどの「楽しむ」なんて平気で使うし、「良い週末を!」みたいなのも若い人はわりとすんなり取り入れたりしてます。でも私はダメ。。自分では絶対に使えない。
さあ、また結論が見えなくなってきた(笑)。
ということで投げかけて終わります(何を投げかけているかも不明?)
とりあえず機会があったらいつか(←こんな言い方だからたぶんやらない)、RRGとか見てみようかなーなんて思ってみちゃったりして。たぶん無理。
でも前回書いた坪井先生の論文の参考文献にあがっていた坪井(近刊)がさっき届いたので(「朝倉日本語講座 文法II」尾上圭介編)、明日はこれだな。でも高かった・・4600円もした。ハードカバー。ペーパーバック(って日本の本は言わない?)でいいのになあ・・。
↓この前、同僚の家にお土産に持って行ったパティスリータカギのロールケーキ。もうめっちゃ、ほんとにマジで、涙出るほどおいしかった。生クリームたくさんなのに、あっさりしていて甘さも程よく、もう本当に絶品。4人で一本食べましたが「こんなに大きいのにぺろっと食べちゃった」「ほんっっとにおいしいね」と絶賛でした。一人一本いけるかも?・・・もったいないけど(^o^)
by blogbebe
| 2004-08-02 16:59
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