高校英語教師の授業日記

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2004年 08月 30日 |
a0027280_16445265.jpg9月に暑くなることを予感させるような今日の蒸し暑さ。どうして毎年9月は暑いんだ?しかもうちの学校はこの夏に耐震工事を行った関係で、一部の教室の窓の上の方が塞がれてしまってるとか。この暑い中、クーラーもなく、その上窓まで小さくなるとは…これは「暴れろ」と言ってるようなものですね。いや、いっそのこと暴れてくれれば教育委員会も少し考えるか…。

やっと始めました、プリント作り。いやしかし時間かかった。1枚作るのに2時間くらい?ただの「1学期の復習」なのに。

早速新しいところに入ろうかとも思ったのですが、まあちょっと初めの1時間くらいは体ならしをしないと、どうせ私以上に鉛筆持ってないですから。

そう、そんなに時間がかかったのは、中味を吟味していたのではなくて字が書けなくなっていたからであります(--;;だって最近ずうっと手書きといえば本の横などにちょこちょこ書くメモか、または殴り書き、時々暑中見舞いはがき、くらいでしたから。まともな字を書こうと思ってもなかなか書けない。(注:私の授業プリントはいまだに手書きです)

でもなんとか仕上げて、カット集のカットを何枚か貼付けて、1枚完成♪この完成したときの嬉しさはいつも変わりません。強いて言えば料理を完成させたときと同じ。

あとは3年生の授業についての構想を練りました。彼らは1、2年で系統だった文法をきちんと身に付けていないので、今、オーラルコミュニケーションで会話中心なのだけど、「わかんねーわかんねー」のオンパレード。まじめな子ほど、「英語はわかんねーよ」と言うのです。だからちょっと会話の教科書から離れて、歌をやりながらその中に出てくる文法事項のポイントを押さえさせて行こうかな、と考えています。3学期は授業はほとんどないので、あと2学期のみですから、文法すべてをやるのは不可能なので、まあいくつかだけでも、ということで。

曲は、今考えているのはクイーンです。やっぱりオリンピックがあったせいか、なんとなくWe are the champions!って気分なのでー(^^)あの曲には、完了形がたくさん出てくるので(といっても完了用法ばっかりですけど)、あれをやりつつ完了形、アスペクトあたりをやろうかなと。外国人講師の先生とペアの授業もあって、そちらの方は完全に「会話練習」って感じになってしまうので、せめて私一人でやる方は少しまじめな子が「そうか」と思えるようにしようかと思っています。

2年生は結局最初の授業のしかまだできてないので、2時間目以降のものはこれから作らなくてはなりません。とにかくまだ基本的な文型が終わってないのでそれを終わらせないと。大学院で勉強したことがなかなか授業に直接リンクしていかないのですが、それはまあなんというか、料理で言えば下ごしらえとか下味とかそういう感じだと思うのであまり気にしないで行きたいと思います。

夏休みの最後になって私用がいろいろと増えてしまい、勉強の方が突然滞ってしまったのですが、新学期にもなることだし徐々に生活を戻して行かなくては。
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by blogbebe | 2004-08-30 16:46 |
2004年 08月 28日 |
a0027280_2261131.jpg今日はまた、授業には関係ないけれど私の大尊敬するイチローの話を書きたいと思います。

イチローは昨日、大リーグ4年連続200本安打をホームランで飾るという快挙を成し遂げました。私はそんなに野球は詳しくないし、大リーグの試合なども大して見てもいないのですが、イチローは本当にすごいと心から敬服しています。

何がすごいって、あの報道陣に無愛想なところ。普通はやっぱりニコニコしてしまうじゃないですか。私も八方美人と言うか安請け合いと言うか、結構すぐに愛想笑いを浮かべて終わってしまうことが多いのですが、イチローは絶対そういうことがない。昨日、久しぶりに報道陣の質問に答えている姿をテレビで見ましたが、「よかったんじゃないですか?」とまるで他人事。嬉しいはずなのに、そういうところには余計な気を配らない、っていうか、野球でいいプレーをすることがすべてであるというあの姿勢。本当にすばらしい。

それから、野球のために自分の生活をコントロールしているところ。夜、寝ている間も、体のバランスを崩さないために数時間置きに寝返りを打っているって知ってました?もうほんと、すごいですよねー。

もちろんそれで結果が伴っているからすばらしいんですけどね。でも自分なりのアンテナというか感覚というのをすごく持っているし、他人に流されず、自分の中でいろいろ考えて打ち方などもつかもうとしている、ということが現在のあのすばらしい姿になっているのだと思います。

イチローに対しては、男性として魅力を感じるとかそういうことではなくて(っていうのも失礼?)もうただ単に心から尊敬。あんな人になりたい、って心から思います。

そういいながら今日も外出のため本業についてはアップできず。

イチローへの道は遠いです。

それから、イチローの奥さんは私と同い年なんですよね。くそー。アナウンサーになれば良かった(^^;)無理無理〜
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by blogbebe | 2004-08-28 22:07 |
2004年 08月 26日 |
a0027280_19151580.jpg
えー、今日の写真は今朝やっと見つけた近所の子猫です。いるのは知っていたんだけどなかなか会えることがなく、いつも探していたのですが今日は運良く会えました♪でもだいぶ大きくなっちゃったな。3匹いたのですがこの子はなぜか私と夫が道ばたでしゃがんだらおそるおそる近くまでよってきた。でもやっぱりビクビクしながら車の下に隠れているところです。このあと、何も刺激してないのに突然走って草むらの中に飛び込んで行きました。

しかし、写真小さいですね。でも大きくしてもちょっとボケてるので猫ははっきりとはしません。それでもこれが一番マシだったんですよねぇ…。カメラ買った当初よりは少し撮るのうまくなったと思いますが、それでも全然ダメ。難しいです、デジカメ。

今日は気候もよく、昨日結構ダラダラしたせいもあり、わりとはかどりました…が、オイオイ、これもやんなきゃーって気持ちになってまた消化不良。いつになったらすっきりするのか。

今日読んだところは、テイラーのテンスとアスペクトの章とその次のclause structureの章。テンスとアスペクトに関しては、私が初めて勤めた学校でお世話になった同僚の英語の先生が、宮城教育大が中心となった研究会に誘ってくださり、その中でだいぶ勉強させていただいたのでわりとわかった気になってしまい、それで逆に大学院ではあまり勉強しなかった分野となってしまったのでした。大学院では意識的にやらないとそれはやらずに終わってしまうのですよね。当たり前だけど。

テンスとアスペクトに関しては恥ずかしながら私は教壇に立つまでは自分でも区別があんまりついていなかった。そういうことって知らなくても何とかなっちゃうものなんですよね。でも教え始めて初めて、この辺のことはきちんと自分の中でわかっておかないと教えられないなと思ったのです。

テンスというのは日本語にすると時制のことで、つまり話し手から見ていつの話をしているかということを表す部分。英語だったら動詞に-edがついたりしますが、それは過去時制ということになり、そのことでその文が話している時点よりも過去に起こった出来事だということが表示されます。

ここで面白かったのは(常識だったのかも…でも私は知らなかった!)、英語には「未来」という時制はない、という考え方。まだ起こっていない出来事については英語では様々な表現方法があるけれども、それは時制ではないみたい。

例えば My plane leaves at noon tomorrow.のように普通の現在形で表す場合。We are leaving for the coast tomorrow.のように進行形を使う場合。一般的には計画済みの予定を表す。また、They're going to meet me at the airport.みたいな形。典型的には主語の意図や未来予想を表す。You must reply to him soon.みたいに、modalを使う場合もまだ行われていない出来事。そして一番ニュートラルと書いてありますが、willを使う方法。

これらは過去や現在とは全然違うということはわかりますが、これってどう考えたらいいのか…。テイラーの本では章末についている「考えてみましょう」みたいな部分で扱っているだけなので、ちょっと勉強の必要ありー。

進行形などもここに入ってくるので、アスペクトにも大いに関係があるところ。

それから面白かったのは、「真実」とか「習慣」とかいわれているものの考え方。例えば Oil floats on water. とか、He smoke a packet a day.などの文で動詞が現在形になっているのは、必ずしも今ここ、という意味での現在の話ではなくて、いつでも変わらない真実であったり、またはその人の習慣であったりということで現在形を使う、と学校では習い、それはそれで「へぇ〜」と思うわけですが、テイラーではLangackerの"structured world"という概念を持ってきてもう一歩進めた話をしています。

すなわち、これらの文は真実だからとか習慣だからこう表現しなくてはならないということではなく、進行形を使っても書けるところを、そうではなくて普通形の現在を使うことによって、これらの出来事がそのように捉えられているということなのだ、ということなのです。つまりこういう文を使うことによって、我々人間のものの捉え方が見えてくるということです。

それは現実の世界がどうこう、ということではなくて、現実世界を我々がどう捉えているのかということの反映であり、そういうことを言語を使って表しているということは本当に面白いことですよねー…当たり前かもしれないけど、ちょっと感動した一節でした。

あと、アスペクトの話もいろいろあったけど、これは特に私にとって新しい視点があったわけでないので省略(わがままだな)。あとは、modalityの話でLangackerの主観化の話もありましたが、これももう耳タコなので省略。興味のある方は原文をお読みください。

自分の興味あることしか書いてなくて申し訳ないですが。

次の章も付箋貼りまくりなんですが、今日はもうお腹がすいたのでこれにて。いやあ、修論かくときにも読んだはずなんだけどな。なんでさらっと読み飛ばしていたのだろうか。同じところばかり読んで進歩がないとも言う。
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by blogbebe | 2004-08-26 19:18 |
2004年 08月 25日 |
a0027280_14321573.jpgこの前の写真にお褒めの言葉をいただいたので、リクエストにお応えして(してないって!)今度は「袋の中に入っている猫編」です♪

そろそろいいかげん2学期のことを考えなくてはならない時期になってきた。でも、7月に1学期の授業がすべて終わるころ、心はもう2学期だったのにあれから進んでないところがミソ…いやしかし、螺旋状に進歩していると信じたいものですね(^^;

昨日、久しぶりに出勤して、久しぶりに影山太郎編「日英対照・動詞の意味と構文」をゲットしてきたので、なんとなく読み返していました。なぜか読むところは「結果構文」の章。好きなのかな、結果構文。

結果構文とは、They broke the window to pieces.のように、動詞のあとに目的語が来て、そのうしろに結果状態が来る文のことをまとめてそう読んでいます。5文型でいえばSVOCなんだけど、to piecesは前置詞句だから5文型でわけると入らなくなってしまいますね。でも結果構文には入ります。

この章は短いので、議論がされ尽くされているという感じはしないのですが、一応すべて問題点となっていることは挙がっていると思います。

主な議論としては、英語では例えばHe pounded the metal flat.と言えるんですが、それを日本語にしたもの「彼は金属を平らにたたいた」は非文となり、そのちがいがどうなっているのかということの検証ですね。

結論としては、日本語においては、動詞がある結果状態を意味的に含んでいるものだった場合のみこのような文を許すけれども(例・彼はフェンスを白く塗った←『塗る』の意味の中に状態変化は含まれている、ということ)、英語の場合はそうでない場合もOKになる文がたくさんある、ということなのだが(例・The joggeres ran the pavement thin.舗道が薄くなるほど走った、ということ。日本語で「ジョガーは舗道を走って薄くした」なんて言いませんね)、私としてはこういうのを全部「動詞の意味」で解決しようとすることにとても問題を感じるのですよね。そこがこの路線の議論の、私が受け入れられない点。動詞の意味って言ったって、動詞だけでその意味ができているわけじゃなく、周りの語との関係でその意味になっているとするなら、それはやっぱり「構文」という単位からも意味は来てるんじゃないかと思うからです。

でもそれはもっと説得力のある文を引き合いにだしながら言わないと、論文としてはあまりいいものが書けない…でも絶対正しいと思うんだけど(笑)

それで思い出しましたが(また話がそれる)、前の学校に勤めているときに同僚だった、比較的年配の女性の先生は、生徒に対する直感がとても鋭くて、でも全然論理的じゃなくて(失礼!)とても面白かったんですよね。

何か事件が起こって生徒から事情を聞いて調べているときなど、内容によっては生徒がなかなか話をしてくれないことがあるのです。そういうとき、いろいろな教員が様々な聞き方で聞いて行くのですが、その先生ももちろんそうなさるんだけど、うまく生徒が話をしてくれなくてもその先生は職員室に戻ってきてから「あの子は絶対に○○よ」とおっしゃるんですよね。それで「どうしてですか?」と聞いてもあんまりはっきりした答えは得られないのだけれども、それでもたいていそのことは当たっているのです。

もちろん、私たちもなんとなくそうじゃないかなーと思うことはあっても、やはり本人の口から何かを聞くか、または絶対的な証拠がなければなかなかそうは言い切れないものじゃないですか。でもその先生は長年の「勘」のようなものがおありになるのでしょうね、根拠なく(あったのかもしれませんがそれをあまり言葉になさらずに)「これ」と決めてしまってそれが結構当たっているという…

だから私などはよく袋小路にはまると「先生、どう思いますか?」と聞きに行ったものでした。まあ、結構本当に近くで一緒に仕事をすると、思いつきで物事をなさることがよくあるので周りは大変だったと聞きますが(^o^;)

てなわけでまた話がそれましたが、やっぱり動詞の意味だけに頼るのはおかしい、ということで同じ本の第1章にある「自他交替」(自動詞と他動詞、両方に使える動詞の話)の章を読みかけで現在に至る、です。

てか、早く授業のプリントを作り始めないとなー。始業式の次の日からはもう授業なんです。しかも私は2学期は時間割の担当なもんで、結構自分の授業を入れてしまった。1学期はやる気マンマンだったんですよね。やめときゃ良かったかもー
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by blogbebe | 2004-08-25 14:35 |
2004年 08月 22日 |
a0027280_23292733.jpg猫ってどうしてこういうところに入りたいんでしょうねー。。

今日は言語学の話はありませんので、あしからず。それを読んでくださろうと思った方はどうぞお時間がもったいないので、今日は読まずにお帰りくださいm(_ _)m

今日はなんか感情の起伏が激しい日なのであろうか。朝、実家から持ってきた「キャンディ・キャンディ」というマンガを全部読んで涙に暮れてしまった…(ToT)

夫が読んだことがないから読みたいというので持ってきたので、私はもう小学生の頃から何十回も読んでいるから読むつもりはなかったのだが、まあちょっとせっかくだし1巻だけでも読んでみるか、と思ったら、はまったはまった…全9巻。2時間で読破。は…早すぎ…。なのに泣ける…すごいわ。

夫がまだ起きて来ないのをいいことに、泣きながら読み、読み終わった頃ようやく起きてきた夫に向かって「アンソニー!」と言う始末(注:別に夫はアンソニーに似ているわけではない)。「こんな気持ちのまま、今日はエアロビクスなんて行けない!」と思っていたけど、夫に「どうせエアロビクスに行けばすっかりキャンディキャンディのことなんて忘れるんでしょ」と言われ、そうかも…と思いつつ行ったらすっかり忘れていた(--;;

そのあと、今日はまたしても分譲マンションを見せてもらうことになっていた。初めに見たのは図面上はかなり期待していたのだが、そこは×。なぜならちょっと湿気が多くてジメッとしており、しかもまだ人が住んでいるのだが住み方が荒くて、部屋がすごく汚くて…なんかイメージ壊れた。

でもそのあとのもう一つのマンション…これが結構いいんですよね。角部屋だし、環境は抜群だし。で、もっと嬉しかったのはやっと夫がその気になってくれたこと。うちにかえってきて説明したら、結構気に入ってくれて来週一緒に見に行くことになって(これまでは全部一人で見に行っていたのだ!夫は元々、『一生賃貸でいい』という人なので…)、もうなんかそれが決まってから頭がマンションで一色になってしまった。昨日の続きで受け身の話を読もうと思ったのだが、全く話が頭にはいって来ない。そこであきらめてスーパードライを飲みながらこれを書いている。

朝、泣きながら読んですっかり「キャンディ」になりきっていた私はもうどこにもいませーん。今はその物件の図面ばかり見ている。

今は夫がキャンディキャンディを読みふけっている。まだ6巻らしい。でも、読みながら「これはこういう展開になるんでしょ」と聞いてきて、それがまた当たってるのでかなり興ざめ…(> <)私は感動しながら読んだのに、そんな、先を予測されても…

というわけで今日はフツーの日記でした。失礼致しましたm(_ _)m
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by blogbebe | 2004-08-22 23:32 |
2004年 08月 21日 |
a0027280_22314559.jpgこの写真もまた近所の小さな川に来ていた鴨。でもこれは赤ちゃんです。全然じっとしていてくれず、こんな姿しか撮れませんでした。でもかわいかった〜(*^^*)早朝にもかかわらず、周りには結構見物人がいました。「あの子たち見るとホッとするのよ」なんて言っているおばさんもいました。なんだかすごくわかる気がします。赤ちゃんは3匹いました。前は5匹いたそうで…。死んじゃったのかなあ。なんか悲しいですね。仕方ないのはわかってますが。

尾上先生の「文法を考える」という特集。in 雑誌「日本語学」。ええっとこれは何年の特集だ?んー、調べないとわからないぞ。論文に出典が書いてないの、多数あり。すぐ書かないと忘れちゃうのに(当たり前)ついつい忘れてしまう。

これはまとめるのはとても難しいのだが、あえて自分のために書けるだけ書いておこうと思う。

尾上先生は、日本語の「れる・られる」形で言われている「受け身・尊敬・自発・可能」という四つの用法を、「出来文(しゅったいぶん)」という一つのくくり方でまとめていらっしゃる。これはかなり面白い話。私は大好きな話(こういう話に好きも嫌いもないのかもしれないけど、でもなんか好き♪)の一つです。

小学校だか中学校でこの4つの用法を覚えさせられますよね。そのときは何にも考えないで覚え、「次の文はその4つの用法のうちどれでしょう?」とかいう練習問題をずいぶんとやらされた覚えがある。特に「なんで4つなんだろう?」「共通性はないのだろうか?」なんて考えたこともなかった。だからこの4つに共通点があると聞いたとき、もうゾクゾクしてしまった(^^;

出来文というのは「事態を(個体の動作や変化として捉えるのでなく)全体として発生、生起したものとして語る(=事態全体の出来として語る)という方法をとる」文(p.82-p.83)であるのだが、受け身も日本語においてはそうだとおっしゃるのだ。

つまり、普通受け身というと「私は彼に殴られた」とか「その窓は彼らに壊された」みたいな(物騒な文ばかりですが--;)、「動作対象を主語に取る文が受け身だ」と考えがちですが、それはあくまでも英語の影響であり、日本語にはこういう動作対象を主語に取る文だけでなく、「突然雨に降られた」とか「母親に早く死なれた」みたいな、いわゆる「迷惑受け身」と呼ばれるものや、「木の葉が風に吹かれている」のような、特に何か主語が影響を受けたというようなことがない文もあり、これらも含めて同じ「ラレル」という形を取っているということをどう考えたらいいのかということを考えなくてはならない(わかりにくいな)。

それで、自発、尊敬、可能などとの共通点を考えると、先ほど書いたように「出来文」でまとめるのが一番良いのではないかということだ。

「新しい新聞が学生によって発行された」とか「世界大会が今月5日に開かれた」のような文は、昔から日本語にあったのではなく、英語の翻訳の影響で出てきた文体であり、元々の日本語は先ほどの例に挙げたような迷惑受け身なども含むものが「ラレル」で表され、それがこのような翻訳の日本語でも使われるようになったということなのだ。

つまり、「英語の受動態は『〜される』と訳す」と教えることは、間違ってはいないけれども全体の一部しか捉えていないという意味で不十分。しかしこの「受け身」という現象についてだけでもたくさんの研究があり、それらをすべて(は無理ですが)踏まえた上で、じゃあ中高生にはどこまで教えたらいいのかということを考えなくてはならない。

「文法と意味II」という本が去年の1月に出るといわれていてまだ出ていない。そこにはこの「ラレル文」の話が出ているらしいので楽しみにしているのだが…。この「日本語学」の特集がベースにはなっているはずだが、おそらくもう少し加筆されているであろうし、早く出て欲しいと思っている。

昔の日本語での話や、最近の「ラ抜き文」(食べられる→食べれる、みたいなの)については金水敏先生のおととしの発表のハンドアウトがあるのだけど、見直したのだけ細かい議論をあんまり良く思い出せない…すごく面白かったんだけどな。やっぱりテープにとっておくべきでした。

なんか中途半端ですが(しかもまとめというより結論しか言ってない感じですが)、もうだいぶ眠くて頭が働かなくなってきたのでこの辺で。
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by blogbebe | 2004-08-21 22:34 |
2004年 08月 20日 |
a0027280_1620586.jpg毎日暑いですね。東京は正午前になんと36.5度だそうで…暑い暑いといっても少しは秋の気配がするわ〜、と思っていたのは気のせいだったのでしょうか。でも今日はスーパーでさんまが安かったので、一足先に秋を味わおうかと思ってるんですが。

写真はまた早朝のお散歩での写真です。水の感じがなんとなく幻想的でしょ。どうしてこんな風に撮れたのかは不明。

テイラーの続きを少し読みました。Chapter17でちょっとひっかかるところがいくつかあったので記しておきたいと思います。

一つは、単語や語句、または名詞や動詞、動作主など様々なレベルでのsymbolic unitの分け方の観点として「内容があるのか、それともスキマティックなのか」ということがあり、例えば同じ対象でもanimalというのとpoodleというのでは差があり、前者の方がスキマティックですよね。それと同じことで、動詞の例としてrunはgoよりもspecificであると書かれているのです。さらっと読んで、「は?」…runというのはどちらかといえばmoveとかdoとかの下位語であってgoは後ろに方向を表す語句が付いたときだけではないのか??

と思ってCobuildを引いてみたら、たくさんあるrunの意味のうち、上位語をgoに指定している項目がたくさんあり、驚き。私が思っていたmoveが上位語の項目は一つだけでした。

33. If a feeling runs through your body, it passes through it quickly and strongly.

この項目のところには、「↑move」という印がついていました。

うーん、走るってことはやっぱり前に進むということがほとんどの場合だから、goの下位語でいいのか…。私はrun to the parkなんていうフレーズで移動の意味が出てくるのは、to the parkによるものだと思っていた。でも当然、どちらかだけにその意味を負わせるという事自体があまりこだわることではないのかもしれないんですが。

でも、日本語だったら「走って行く」と「行く」をつけなくてはならないことから考えると、やっぱり英語の方がなんというか動詞の意味が柔軟な感じがします。やっぱり構文中心の言語だからですかね〜(←都合がいい解釈♪^^;;)

だから「runは『走る』という意味なのだ」と、私などもとかく単語レベルで語の意味を覚えようとしますが、それよりもやっぱり構文から攻めて行った方がいいと思います。授業で中学生にいきなり構文から行くわけにはいかないですが、でも、日本語ほど単語一つ一つの意味が限定していない(って言い方でいいのかわからないけど)ということは折に触れて言っておかないとダメですね。

なんて、こういうこともたくさんの文章を暗唱することから自然に身に付いてくるものなのですかねぇ…そうかもしれないけど、そうなるためには途方も無い時間を費やさないといけないですね。もちろん最終的にはそうすることが必要なのかもしれませんが、大多数の日本人に取ってそこまでの外国語の勉強は耐えられないのではないかと…これまでの私が関わってきた生徒たちを思い出すにつけてそう思います。

それからもう一つ引っかかったこと。それは、ある表現が「確立されている(established)のかそれとも新しいもの(innovative)なのか」ということ。これは良く言われることですが、いわゆる「熟語」といわれるようなものは、もうずっと使い込まれて確立した表現になっているのだから、それはそれでまとめて一つの単位だと考えたほうがいいのではないか、というようなこと。

もちろん、現時点ではそうなんでしょうが、やっぱりそうは言いたくない。なぜならその表現が使われ始めたときというのは必ずあるはずで、それがなぜそのように言われ始め、それがここまで定着したのかということは考えるに値することであるし、それを考えることこそ大切なんじゃないかと。

たくさんの言い回しを覚えれば、確かに言葉には精通するかもしれないけど、私にとってはあまり魅力的じゃない。それよりも、なぜその表現が生まれ、どう育ってきたのかということの方が興味深いです。

例えば、今もうほとんど普通に使われる言葉で「超〜」というのがあります。作文や面接練習などで使ったりするとかならず国語の先生は直していますが、私自身も便利でしょっちゅう使います。

でも、高校生はすごい。これはその子だけかもしれないのですが、話していてビックリしたことがあります。前の学校に勤めているとき、私のクラスのある女子が「昨日自分はまじめに一生懸命掃除をした」ということを言うのに、「昨日、私、超掃除したんだけどー」って言ったんですよね。すごいですよね。超掃除する。試験前などに「超勉強した」と言うのは、もっと普通に使われていました。これは今でも使う人はたくさんいると思うんですが、「超掃除する」はあとにも先にもこのときだけ。でも意味は十分に伝わりました。

なんで「超勉強する」の方がよく使われるのでしょうね。「超」を好んで使う人たちにとって、「とても一生懸命勉強する」という状況は起こる場合もあるが、「とても一生懸命掃除する」という状況はほとんど生まれないからでしょうか。…掃除は生徒にやらせるより、私一人でやった方がずっときれいになりますから。

言葉から見える文化を考えようと思ったら、やっぱりその熟語や言い回しが成立した状況をいろいろな観点から見て行く必要があるのでしょうね。でも自分で調べるのは大変なので、だれかが書いてくれるのを待つことにしよう。
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by blogbebe | 2004-08-20 16:26 |
2004年 08月 19日 |
a0027280_1814378.jpgということで今日は言語学の勉強はあきらめて、加入しているのにほとんどみていないスカパーをみることにした。

英語学習のためのいくつかのチャンネルがあり、スカパーのHPで検索していたら「GLC24時間英会話チャンネル」に子供向けのアニメとかがいろいろあるようだったので(今まで知らなかったという…汗) ”TEO"というのを今みている。この写真がそう。右がTeo。区別つかないけど。てかどっちでもいいけど(笑)

Teoは小学生の男の子で、小学校にまだあがっていない弟と両親と暮らしている。そのTeoの日常をアニメにしたもので、1話がだいたい7〜8分しかない。それを一回目は英語のまま字幕なし、二回目は英語字幕有り、三回目は日本語字幕有り、ということでなんと30分の番組中に同じものを3回も放映する!

しかも途中にクイズがたくさん出されて、それの答え合わせを、実際の映像付きで行う!!これはすごいなーー。。

やっぱり会話は学校ではやらなくていいなーと確信した番組であった(^^)だってこんなに優れた番組があるのだもの!!

他にバラエティーとかカラオケとかもあるらしい。すごいなあ。。

そういうわけでまた明日から言語学の勉強しよう〜と思うに至りました。ん?さっき書いた「素読&暗唱の必要性」の問題はまだ解決してないんですが…。でもとりあえず「英会話」からは解放された気分なので、少し気持ちが落ち着きました。でも一応、いくつかめぼしいのは録画しておこう。(しかし録画の仕方がわからない…あとでうちの電気機器担当者にやってもらわなくては(- -;;))

新しい番組が始まったので、これにて。今度はセサミみたいなやつだ。
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by blogbebe | 2004-08-19 18:02 |
2004年 08月 19日 |
暑いせいにはしたくないが、今日は言語学関係のものは何も読む気がせず、まだ初めの方しか読んでいなかった斎藤兆史「英語達人塾」(中公新書)を午前中読んだ。

かなりの部分で同意しつつも、やっぱり「うーん」とうなってしまうところもかなり。というか、これは様々な意味で「勉強する」ということに対して前向きである生徒には最適だと思うけれども、私のようにこれまでそうではない生徒たちにたくさん出会ってきた一教師としてみれば、ちょっと「理想論」に思えてしまう。

斎藤先生は、最近の「コミュニケーション最重視」という英語教育の風潮に反対し、やはりきちんと基礎を押さえることが大切だということを一貫しておっしゃっている。ここで言う基礎とは、音声面も含めて、日本語とは全く違う英語の文法をコツコツとやっていくことによる力をさす。音声の面では発音記号が大切だということもおっしゃっているし、また、文法の方では名文にたくさん触れ、素読したり暗唱したりすることで美しく、また正確な英語力を身につけることの必要性を述べていらっしゃる。

だから本の中でも具体的にどのような勉強が必要かということで、カズオ・イシグロの文章を訳しながら文法的な解説を加えていらっしゃる。でもその内容は、「be about to do『まさに〜しようとして(いる)』の用法も改めて確認しておくこと」…といった感じである。なぜそれがそのような訳になるのか、なぜaboutなのか、などということは(辞書や参考書を見ながら自分で考えなさいということなのだろうが)いっさい書かれていない。

このような姿勢には基本的に反対するところはない。自分のこれまでの英語学習を振り返ってみても、やはり高校時代などは予習復習に追われ、睡眠時間を削って勉強した(当たり前?でも私にとっては画期的!)。授業でも、英語の先生方はみんなこの斎藤先生の解説のようなことをおっしゃっていたし、常に様々なことを暗記したし、すぐ忘れる自分に自己嫌悪を覚えつつ、試験前には試験範囲の部分の文章をすべて暗唱できるように何度も何度も繰り返し練習した。

だからそれを考えると、やはり高校生にもそういうことをやらせなくてはいけないのかなとも思う。

しかし、前にも書いたと思うが、それだけやっても「英語がわかった」という風には思えなかったし、いつも英語に対しては自信がなかった。今でもないけど…。それが、池上嘉彦先生の「英文法を考える」を読み、認知言語学的な考え方に触れることによって初めて何がわからなかったのかがわかったのである。

そうか、何気なく「主語」とか言っていたけど、日本語の主語と英語の主語が同じだと思っていたからわからなかったのだ。よくSVOOとSVOCの書き換え問題をやらされたけど、両方の文はやっぱり同じ意味じゃなくて違いがあったのだ。などなど。

だからこういうことをきちんと学校でも教えることが必要だろうと思い、勉強し始めた。

でも、斎藤先生の本を読んでいると、中高生にはこれはもしかしたら必要ないのかもしれないと思えてくる。いや、必要ないとまでは言わないが、やはり基本は「暗唱・暗記」なのだろうか、と。私だってまだ十分ではないけれどもそうやって英語力をつけてきたのに、それをやらせないで言語学的な視点ばっかり追求するのは、なんか違うんじゃないか、と。

言語学は趣味にとどめなくてはいけないような気がしてきてしまった。

そういえば、私の指導教官の先生も、それからやはり高校で英語の先生をしている大学院時代の友人も、「言語学は授業には直接的にはあまり関係がないし…」というようなことを良く言っていた。それにはとても反発心を覚えたが、それはもしかしたら正しいのかもしれない。

もちろん、知らないより知っていた方がいいに決まっているし、生徒が何かに疑問を持ったときに、「そんなことは疑問に思わないで覚えるしかないんだよ」なんて身もフタもないことを言わなくてすむ。

でも、それを中心に据えることはもしかしたら間違いなのかもしれない。

じゃあ両方やればいい、という人がいるかもしれない。それはもちろん理想である。でも現実的にそんなことは無理である。初めから無理なんて言っちゃダメ、という人もいるかもしれない。でも福原愛ちゃんじゃないけど、そんなきれいごとじゃないんだ。

こんなことでごちゃごちゃ考えているよりも、少しでも前に進んだ方がいいこともわかっている。でも前ってどっち?私が進みたい方が前なの?それでいいの?と思う。いろいろな人がいるんだから、それぞれがやりたいことを追求していけばいい、とも思う。別に私が完璧になる必要はない。私にも足りないところがあって、でも人よりもきっと優れたところもあって、それをいろんな人で補い合えばいいと。でもそんな風になかなか割り切れない。

教師になりたてのころは、教育論とか教師論とかそういうたぐいの本をすごく読んだ。それで元気がもらえた。でも今はそういうものを読むのがしんどい。意見をされるのもしんどい時も良くある。

これは永遠の課題なのかもしれない。でもとりあえず今日は午後はぼーっとしていよう。読もうと思っても読めないし。どこかに買い物でも行こうかな。でもそうするとまたマンションが欲しくなりそうでそれも怖い〜(ToT)
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by blogbebe | 2004-08-19 13:16 |
2004年 08月 17日 |
a0027280_19253124.jpg
この写真は、私が「本物の」学生だった頃の友人にお願いしてもらった写真です。先日の14日に行われた東京湾花火大会での写真。きれいですねぇ…。。こんな風に撮れたら楽しいだろうなあ。。うっとり。どうもありがとう!!

さて。今日は、昨日のショックから気を取り直し、とあるアパートを見てきました。これは賃貸。駅から徒歩13分(実際は15分)、メゾネット式の3LDK、ペット可、平成元年築。お家賃はまーそこそこ。ってことで「きっとキレイなとこなんだろうな♪少なくとも今のところよりは…」と期待して行ったのに。

部屋に入った瞬間、カビのにおい。えーっ。ひどい。天井も低い。本当に平成築??しかもかなり変形したメゾネット式なので、なんか合宿所みたい。フローリングって書いてあって、確かにフローリングなんだけどさ。この板、汚いなあ。。って感じで。ガッカリでした。

あーあ。やっぱ昨日のマンションが良かったなー。きれいだったなー、写真。くそ〜(T_T)

さて、いきなり本題に入ります。

先日、大学院の友人からもらった、前学期の某先生のクラスのリーディングのうちの一つ、「ナヴァホ語の受動態」に関する話を読んだ。("A Note on sbject-object inversion in Navajo" by Kenneth Hale (1973))

ナヴァホ語とはNative Americanの言語の一つで、アメリカ南西部、特にアリゾナやニューメキシコのおよそ10万人の人々に話されている言葉らしい。この言語の受動態はとてもおもしろい形をしている。

語順は能動態でも受動態でも同じで、「名詞→名詞→動詞」という順番。で、二つの名詞の順番は英語のように「動作主」が始めにくるというわけではない。二つともが有生物(animate)ならばどちらでも良いのだが、動作主が先に来たときには動詞にはyiという接頭辞がつき、被動作主が先に来たときにはbiという接頭辞がつく。つまり動詞についている接頭辞を見ると、文頭に来ている名詞が動作をするのかされるのか、ということがわかるようになっている。

しかし、これがどちらかが無生物だった場合には一方に限定される。どういうことかというと、無生物が文頭に来ることができないために必然的に有生物が文頭に来ることになり、そうすると動詞にどちらの接頭辞をつけたらよいのかということが決まってくるということだ。例えば、「私はソーダを飲んだ」という文があるとすると、ナヴァホ語では「私・ソーダ・yi+飲んだ」とは言えるけど、「ソーダ・私・bi+飲んだ」とはいえないということだ。

でもそれは十分な規則ではなく、例えば「雷が私の馬を殺した」という文(すごい文ですね)はどちらも文頭に来れる=有生性(animacy)は同等に見なされているということがある。また、同じ有生物でも「その男は鹿を殺した」という文では「男」は文頭に来やすいが「鹿」は来にくいということもある。

そういうことを考えると、有生物、無生物という区分ではなく、「有生性におけるランキング」が、その文の動詞にyiをつけるのかbiをつけるのかを決める、ということらしい。

ふーん。すごいですね。有生性という程度においてランキングが高いほど文頭に来られるなんて。やっぱり原始的な生活をしているとそういうことが大切になってくるのかな(って勝手に言ってますが…^^;;)

日本語は「〜される」という形は「受け身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があると教わりましたが、これらはやはりとても特殊なくくられ方をしているというのが尾上先生の主張でした。つまりこれら4つの意味は、「4つバラバラの意味がある」ということで暗記すべきようなことではなく(暗記させられましたが)、すべての用法に共通する「出来(しゅったい、と読みます)」という考え方を取り入れることにより、統一的に捉えられるのだとおっしゃっています。

これだって、ナヴァホ語と同じように日本語の特徴ですよね。

尾上先生はどういう風に統一的に捉えてたんだっけ??と思ってその後論文を探したのですが、まー苦労しました。やっと出てきたらもうぐったり。読み始めたらもう出かける時間。

ということで尾上先生のお話はまた後日(かもしれない)ということで。

しかも出先でまた「<私>の愛国心」(香山リカ著・ちくま新書)と「英語達人塾」(斎藤兆史著・中公新書)を買ってきてしまい、これがまた面白いんだ。斎藤先生は授業に出ておけば良かった・・・そしてお近づきになっておけば良かったと今更ながら思う私。香山リカさんは夫はあまり良く言いませんが私は大好き。なにげにいろいろ読んでます。現代の若者を分析する力はすごい、って思うんだけど。現にこの本に出てくる「最近の若者の傾向」は思わず読みながら電車の中でもうなってしまった。そうそう、それそれ。それが言いたかったのよ、という感じ。私も「やや」若いのでその傾向はあるんですけどね。えーっ?
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by blogbebe | 2004-08-17 19:32 |
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