高校英語教師の授業日記

思ったことなどを時々書いてます
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2004年 11月 30日 |
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11月も今日で終わり・・早いような遅いような。明日から12月。でもやっぱり短かったかなあ。4月に復職して8ヶ月。以前とまた同じ生活のような、でもやはり2年間の経験が私の学校での仕事をずいぶん奥深いものにしてくれていることは確か。無給だったけど、このような制度がこのようなタイミングでできたことに対しては、東京都に感謝しなくてはならない。

さて、今日もまた怒濤のような一日が過ぎて行った。

今日は3年前に2年生だった卒業生が2人、遊びにきていた。うち、3年ぶりに会う顔が一人。「先生〜!!なんで結婚しちゃったのー?オレというものがありながら!!」と3年前と同じ笑顔で私と再会してくれた。彼は勉強はそんなにできなかったし、楽しいことが大好きでいつも何かに気を取られてはしゃいでいる高校生だったけど、とても礼儀正しく、いつも元気で明るい子で、そこはちっとも変わっていなかった。卒業して勤めたエレベーターの会社に今もまだ勤めているらしい。今日は休みで遊びにきていると言う。バタバタしているときであまりゆっくり話はできなかったけど、卒業生の元気な姿というのはやっぱり嬉しいものだ。

そういえば先日、ジムで「もしかして、先生?」とロッカールームで話しかけられた。ふと見ると見覚えのある顔。「あれ〜?もしかして・・名前は覚えてないんだけど、○○先生のクラスの子だよね?」と聞くとそうだ、という。名前を聞いて、そうそう、そうだった!思い出した!!私がまだ若かりし頃、ほんの23歳だった1年目に中学3年だったTさん。やだなあ、すっかり大きくなっちゃって。きれいになっちゃって。今はニューヨークで永住権を取って働いているらしい。たまたま今は帰国していて、それでジムに来ているとのこと。「今、何歳になったの?」「28歳。いい年でしょ?」「・・・」言葉を失ってしまったよ。もう28歳だって。怖いですね、年月は。

そして今日の授業のこと。

1時間目。2年生。なぜかこの時期に席替えをしたらしい。このクラスは1時間目のときはとても良いのだけど、今日はそのせいもあってかウルサイウルサイ・・何度「ウルサイなあ・・」と注意したか。潜在的にはこのクラスは一番能力が高い子が多く、もったいない。

On it he wrote, "... と続く文があって、そこの部分をN君に訳してもらった。onの下には「〜の上に」、itの下には「それ」、heの下には「彼」、wroteの下には「write(書く)の過去形」と黒板に書いたのに訳せない。。ここの部分が「場所」になるんだよ、動作はこれ、動作をする人がこれ、とさしても「あーあ、めんどくせーものが当たっちゃったよなあ・・」とか小さい声で一番前の席でブツブツ言ってるだけで答えてくれない。でも反抗してるとかではなく、黒板を見ている。テストもいつも赤点までは行かない。どうして答えてくれなかったのだろう。授業が終わってから聞けば良かった。今度あったら聞いてみよう。

4時間目、3年生。読みのテストの二回目。後半の人たち。全然練習してきてなくて再テストになったものが6名ほど。甘いなあ・・と思うけど。読めるようになることが目的だし、まあちょっと怒り疲れているのもあるかも。いかんですね。

5時間目、2年生。やっぱりウルサイ。私が教室に行ってもなかなか席に座らない。座ってもマンガ読んでる、携帯いじってる。いちいち注意して、寝てるのは起こして、プリントを返して、授業開始。マンガを注意。当てる、説明、携帯を注意。席を立ち歩かないように注意。ウルサイから出て行けと言ってみたり。ふーーー、でも、きちんとやっている子もいることは忘れてはいけないと思いつつ、必死の50分。あー疲れた。反抗はしないんですよね、当てると考える。でも当てないとやらない子もたくさん・・。

そういえば今日、1時間目のクラスで「先週の『せん』ってどういう字だっけ?」と聞かれ、「『さき』って言う字だよ」と教えたら、「先週って昔のことなのに『さき』って書くんだね。変だよね」と言われ、改めて考えたら確かに変だ。「まだ先の話」なんていう言い方は明らかに未来。そういえばシリーズ言語科学4「対照言語学」になんかそんな論文があったような・・と探してみたら、私が思っていたのとはちょっと違った(定延利之「時間から空間へ?」)。この論文は去年か一昨年に読んだのだけど、なんかうまく丸め込まれたような気がしてしまったもの。でも内容はあまり覚えてない。時間と空間がどのように言語化されているか、そして人間に取ってそれらはどういう関係で認識されているのかというような話だったと思うんだけど・・明日、読み直してみたいと思う。しかし話は戻るが、反対の意味というのはある意味、同じ観点から見ているので意味が似ているとも言えると思うのだけど、こういう風に正反対の意味で使われるのはよくあることなのだろうか?それともこれらは正反対とは言えないのだろうか。

夜は池上先生の2週間ぶりの講義だった。・・・面白かった・・・。来年は他のクラスももう少し取りたいものだ。池上先生は一コマしかないけれども、先生のお話を聞いていると心があらわれる。
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by blogbebe | 2004-11-30 21:59 |
2004年 11月 29日 |
今日は、何か強く感じたこととか主張したいことが特に思い浮かばないので、あったことと感じたことを思いつくままに書いておこうと思う。

・3年生の授業。"I Have A Dream"を聞きながらまた穴埋め。キング牧師の演説は中学校で聞いたことがあるという生徒も何人もいたことや、発音がわりと聞き取りやすいこと、そしてリズム感があることなどから思ったよりも集中してできたようだ。でもやっぱり英会話の授業は行き詰まっている。もうこういう「穴埋め問題」関係しかできなくなってしまっている。ペアワークは日本語でやりとりしてしまったり、また、いろんな人にインタビューしていろんな答えをアンケートみたいに調査する、という形式にしても、全部同じ答えとか。「面倒くさい」という意識が先に立つのか。私から見たら、英会話をやるほどの力がついていないせいだとおもうのだが。

・最近、3年生の中で変わってきている子がいる。いい意味でも悪い意味でも。悪い方は進路が定まらなかったり、逆に決まってしまって気が抜けている生徒。これはまあ仕方ないと言うかあまり気にしていない。いい方は、意識的に声をかけるようにしていた子がだいぶ授業に参加するようになってきていること。ほんの数人だけど。1組のU君、Y君(彼らはこのまえの読みのテストで全く読めなくて再テストになった子たち。最近職員室に時々遊びにくるようになったので、練習させたりしていた。)そして2組のS君。彼はアルファベットがままならないということもあり「オレなんかもういいよ」といつも言っていた。今日はなぜかよくやっていた。前は声かけてもやらなかったのに。何があったのか。単に気が向いただけか??

・2年生のA君が掃除で職員室に来た。彼は友達の話を穏やかに良く聞いてあげる、とても心の温かい子。猫を飼っていて私と時々猫話をする。ずっと英語は赤点ばかりで、この前の中間も赤点だったので勉強の話もしないと、と思って今日は「放課後、勉強しない?」と持ちかけてみたら「いいよ」と快諾。でも他のクラスの子がいたらイヤだということ。自分のクラスの子ならいいらしい。その話を持ちかけると、自分は中学の頃から英語がダメだったという。何でも、中1の2学期に授業中に当てられ、読まされたのだが読めなかったところ、先生に「お前はどういう生活をしているんだ?なんでこんなのも読めないんだ」と言われてそれからもう全くやる気をなくしたという。。んーー。なんと傷つきやすい。。私も気をつけないと。でもその出来事の後、全くフォローがなかったはずはない。彼が受け付けなかっただけなのだろう。でもそんなことを言っても仕方ない。明日、とりあえず放課後一緒にやってみることにする。

・そういえば一度補習をしたっきりの2組の3人組。その後、そのうちの一人は2回目の補習をやったのだがあとの2人はその一度で気が済んだ(?)のか、毎日教室まで迎えに行くのだが「今、カードで忙しい」と断られる。。ま、義務じゃないし、とにかく今の時点で種をまいておくことが大切だと思っているので、「あ、そう。じゃあまた明日ね」とあっさり引き下がる。おそらく次のテストもたぶん赤点だろう。「やっぱ、やんないとダメだな」と思わないとやらないから。やらないといけないと思ったときに、気軽に勉強を始められるように種をまいているだけ。

・そう言う意味では、他のクラスの危険人物たちにも声をかけておかなければ。やればできるのだ、できないのはやらないからというだけなのだ、ということを実感するためにも少しは放課後の勉強をやらせたいのだけど・・。まぁ、できないのはやらないからだけなのだといったって、そのやらないことが問題なんですけどね。これは私自身にも言えること。

・引っ越しまであと一週間。仕事中は引っ越しのことを考えずに一週間過ごせますように!!仕事にちゃんと集中できますように!!つい、考えちゃうんですね。ダメダメ(> <)
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by blogbebe | 2004-11-29 21:17 |
2004年 11月 28日 |
jizobosatsuさんのもちょっと書きますという記事にトラックバック致します。

10代の妊娠が多いということで、保健婦さんのお話を聞いたことについて書かれていますが、驚いた(というか「やっぱり・・」と思った)ことは、女の子が避妊をしないという実態についてでありました。男の子の求めに対してそれを拒むことなく応じているというケースが多いらしい。これに対し、jizobosatsuさんの、

>知識も大事だが,「自分を大切に思える気持ち」をどう育てるか。この研究が急務だと思う。自己肯定感。

というご指摘にとても共感しました。

この「自己肯定感」という言葉、ずっと前から言われている言葉だけれども、本当に大切なことだということを実感しています。

この、妊娠の例だけではなくてもっと卑近(?)な例でも、もっと自分を大切にしなよ!と言いたいことはよくあります。例えば、うちの学校ではバイトをしている子がとても多い。生活のために必要という子も中にはいて、それは仕方ないのだけれども、やっぱり多いのは目の前のお小遣いが欲しくてやっているバイト。「世間勉強」という大義名分のもと。

でも、実際はバイトというものはやったことがすぐに「お金」という目に見える形でかえってくるので面白い、というだけではないかと思っている。勉強なんかしたって意味がないように思える、という高校生特有の浅はかな考えにより(そしてそれを認めるたくさんの親たち・・)、バイトに走る。学校で寝る。の悪循環。

今は、そんな目の前のお金なんかよりも、自分自身を高めて行くことが必要なんじゃないの?勉強ってそのためにするんじゃないの?もっと自分を大切にしなよ!と言ってもなかなか伝わらない。「だってバイトは世間勉強だもん。」

高校生はおそらく安い時給でとても良く働くのであろう。世間もきっと求めているのだろう。でも、高校生は勉強せよ!と世間ももっと言って欲しい。しかし全員が勉強する必要はなく中学を卒業した時点で働くなら働いても良い。だがそれはバイトではなく正社員であるべきだ。正社員として、責任を負いながらちゃんと働くべきだ。お客さんに対してきちんと接して行かなければ、お客が減り、その結果もらえるお金も減る、という厳しさを学ぶべきだ。

スーパーでもコンビニでもピザの宅配でも、最近は高校生バイトがとても多い。そして彼らは確かに世間勉強をしているかもしれないけど、何の責任も負っていないために私から見たらその仕事に対する情熱も少ない。おつりの渡し方がひどい。店の商品について質問しても何もわからない。ありがとうございました、もキチンと言えない。でも安いから使われる。そして勉強もしない。

ああー。この悪循環。
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by blogbebe | 2004-11-28 10:57 |
2004年 11月 28日 |
おとといの2年生の授業で、3時間目のクラスでみんな答え合わせを待っているということを書いた。実はそのクラスでもうひとつ、私の中では記憶しておきたい出来事があった。

そのクラスは学年の中でも学力が抜群に低いクラスである。他のクラスの半分くらいしか平均点がない。平均点が半分、ってすごいことです。各クラスに2、3人ずついる「この子は個人的に見てあげないとダメだなあ」というような子がクラスの中にごちゃごちゃとたくさんいる。しかもうるさくてやらないとかそう言うのではなく、とにかく静か。おとなしい。話しかけてもじっとこっちを見てるだけ、と言った感じの子がとても多い。最近はやっと、当てると「わかりません」くらいは言えるようになったけど(笑)、4月5月なんて首をちょっと(15度くらい)かしげるだけ。

その中に一人、留年生のO君がいる。彼はみんなよりひとつ年上だし、ちょっとくらい他の子よりできたっていいのに、という気がするんだけど、これがまた全然出来ない。この前の中間テストなんて2点であった。2点・・

他の教科もあまりできないようだが、英語は輪をかけて出来ない。しかもアレルギーすらあるようで、この前までずっと音楽を聴きながら授業を受けていた=話は全然聞いてない。でも、ノートはきちんと(きちんとすぎるくらい)取る。そして提出物はきちんと出す。どうやら1年生のときに「提出物はきちんと出したから単位はもらえた」というクチらしい。それを狙っているのが見え見え。

「提出物出したからって、頑張ってテストできないなら考えるけど、やろうともしないでテストが悪かったら単位なんてあげないよ」と時々注意していたのだけど、なかなかこっちを向いてくれなかった。

その彼が、おとといの授業で初めて授業に食いついてきた。

初めは「haveって意味は何だっけ?」という私のクラスへの問いかけに対して「ヘビ!」とか言っていたのだけど(←これ、意味わかります?沖縄とかにいるハブという蛇のことだったらしいです。私も理解するのにしばらく時間がかかった。)私が「前置詞」という言葉を発した瞬間に「なんだよ、それ?そういうのがわけわかんないんだよ」とからみ始めた。

9月にやったじゃん!!という言葉はぐっと飲み込んで、初めて食いついてきたのだから取り上げてあげないといけないかなと思い、しばし前置詞の説明。on the deskと言ったらdeskの前にonをつけるので前置詞という、ということを(theって何だよ、と言われたのでその説明をした後で)話した。そうしたらわかったのかわからないのかわからないが少し落ち着いたのだが、その後またしばらくしてから「そのisって何だ」と言われた。

長文の本文中に It is dangerous! という文があり、「それは危険です」という日本語訳を書き、「この is は何であるの?もしこの文が "It dangerous!"だったらそれは間違い。何で?」と他の子に改めて問いかけてみた。他のクラスだとその時点で何人かが「形容詞!」と言ってくれるのでそれを取り上げられるのだけど、このクラスでは出てこない。

「『つなぎ』みたいなもん?」という子がいたり(これは言語学的には正しいとも言える。beはcopula(連結詞)と言われているから)「です」だ、という子がいたり(これはいろいろな問題集などにそう書いてあることが多いのだが、ダメにしている。なぜなら受動態や進行形にbeが出てきて「です」と訳せない場合を説明できないからだ)、仕方ないので他の例文をいろいろ出してみたらやっと「形容詞」が出てきたのでホッとした。

しかし問題はその後。「なんで形容詞だとisが要るのか」とそのO君に言われたのだ。そう、形容詞や名詞が述語になるときにはbeが必要、と教えていたのだが、そもそもなんでそれが必要なのかということは全然話していなかった。つまりこれはやっぱりルールでしかなく、何かを説明しているようでいて実は全然説明していないということなのだ。

そこで存在を表す語が文法化して、というような話をしようかと思ったのだけど、今ひとつ自信がなくてどう説明していいかわからなかったこと、そしてO君の質問ばかりこの日はさんざん取り上げていて、他の子がややうんざりしていたこともあってそのまま流してしまったのだが、昨日になってから気になりだし、うちに唯一ある文法化の本(Hopper&Traugott 2003 "Grammaticalization")
を見たらちゃんと出ていた。

英語の例ではハッキリとは見つけることは出来なかったのだが、フランス語ではやはり英語のbeに当たる語が、もともとは存在を表す語(例えばI am at home.みたいな文におけるbe)が、後ろに状態を伴う場合( I am ill.など)や、単なるテンスやアスペクトを表す助動詞( I left. というのがフランス語では je suis parti だそうで、このsuisがbeに当たる)にだんだん変化して使われるようになっていることが書かれていた。

英語でもそうなんだろうなと思って、修論を書いているときに取ったOEDのコピーの山を探したんだけど、beはない・・・おぉ、私はbeのことも書かずにいたのであった。OEDは見ないといけない。それからもう少し英語のことで書いてあるものも探さなくてはいけない。・・・っていつ探すんだ?本当に探すのか?とつっこみつつ・・(^^;; OEDですら中央図書館まで行かないと見られないんですよね。ちょっと面倒・・。こういうものを研修日に探しに行きたいものですね。研修日があったころが懐かしい。

I'm とかhe'sとか省略形が使われるということを考えても、これは文法化ということで良いのだろうと思うが・・まあともかく「フランス語ではそうらしいからたぶん英語でもそうだ」ということでO君に今度話したいと思っている。聞いてもらえるだろうか。

しかし、やはり「英語が出来ない子」というのは侮れない。本質的なことをついてくる。きっと中学時代は「何がわからないかわからない」という状態でいたのだろうな。私もずっとそうだった。英語は得意教科だったけど、わかったと思ったことなんてない。我慢して我慢してときどきぱーっと目の前が拓ける瞬間というのがあり、今に至っている。「最近の子は我慢が足りない」と言うことは簡単だけど(私自身もよく言うけど)、その拓ける瞬間までは我慢してただ覚えよ、というのはやっぱり酷であると(そして教師としては「負け」であると)、我慢が嫌いなくせに負けるのも嫌いな私は思う。
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by blogbebe | 2004-11-28 10:21 |
2004年 11月 26日 |
3時間目の2年生のクラスで長文をやっているとき、私が黒板に日本語訳を書くと、「先生、『先週』っていうのが最後に来てもいい?」と聞く。「いいよ、いいよ。日本語はこれとこれの順番は逆でもいいし・・」と黒板を指差しながら、内心「またか・・」とちょっと思いつつ話をした。

そしてそのときついでに、He made a big notice.という文が続いていたので、「英語はこのheとこのa big noticeは逆じゃダメだよ。逆になると、『大きな掲示は彼を作った』っていう意味になっちゃうからね。」と言ったら多くの子がわっと笑った・・。おいおい。。この話はもうずうーーーーっとしているじゃないか。。そんな初めて聞くような顔をしないでくれ・・。それとも、その『掲示が彼を作る』ということ自体がおかしかったのか?

授業のときは、まず読み聞かせをし(5時間目とか体育の後とか、集中が悪そうなときはまず授業の始めに小さな紙を配って単語の聞き取りテストをし)、本文のclozeをし、日本語訳を作らせる時間を取る。だいたい3文ぐらいを訳させるのに10分くらい取る。3分の1くらいの子は自分で訳を作る。出来る子はもうさっさとプリントの下についている英問英答まで終わらせていたりする。そして残りの3分の2は声をかければやるけど(それでもやらない子もいる)自分たちでは決してやろうとしない。答え合わせを待っている。

「授業中は間違えていいんだよ」
「間違えて直すのが勉強なんだから」
「授業中は間違える時間」
「自分で考えないとできるようにならないよ」

といくらいってもなかなかやらない。聞いてみると、間違えて直すのが面倒くさいという子が多いんだけど・・

そのかわり丸写しはものすごくよくやる。例えば、タバコをすって謹慎中とかにも「生徒手帳を写す」とかいう課題を真剣にやる。文句も言わずにやる。初めは「えっ・・・?」と目を疑った。だって「生徒手帳を写す」ですよ?そんな課題・・絶対やりたくない。

私がこの子等にやらせようとしていることは間違いなのかなあ・・と時々感じてしまう。単純作業をコツコツやる、ということだって世の中に出たらとても大切なことだし、それは大きな長所になるはず。でも考えさせたい。英語を読んだり書いたり話したり、少しでもできるようになってもらいたい。そして言葉というものの面白さを分かち合いたい。と思ってるんだけどなあ。。無理なんだろうか。

でも、中には「学校の英語は簡単すぎる」とぼそっと言う子もいる。今やっている長文だって、普通は中学2年生くらいで読ませていいものだ。入試の平均点が英語は10点台なので、中学英語で十分なんだけど、中には4、50点とって入ってくる子もいるのだ。入試で4、50点取れる子なら、これでは簡単だろう。

少人数にならないものだろうか・・希望はずっと出しているのだけどなかなか叶えてもらえない。来年は叶えてくれるだろうか。教育委員会。
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by blogbebe | 2004-11-26 23:59 |
2004年 11月 25日 |
4月の初めに2年生を初めて持ったとき、まあどんなもんかというのもあって教科書をちょっとやってみた。そうしたら自分たちで全く訳せない、読めない、品詞がわからない、そして3年前も前の学校でもそうだったけれども、単語の意味がわかるとそれを意味から適当につなげて日本語で解釈する癖のある子がとても多いという印象がやはりあった。

そこで、5月の中間テストを終えてからは、まずは品詞の勉強、そして文の基本的な構造ということでずっとやってきて、まったく何ヶ月かかってるのか考えると頭を抱えたくなるのだけど、とにかく11月後半の今、やっと文を構文という単位でくくれるようになってきた、と見込んで長文に入った。

しかし・・

やはり、これまでの勉強と今回の長文がつながっている、ということを常に意識させないと、半分くらいの生徒はやっぱり単語をその意味から適当につなげて日本語の文にするということを平気でやる。

たとえば次の文、

A lot of children came and bought them after school.

これを、「たくさんの子どもたちは放課後にそれらを買いにきた」とする。これは正しいのか?

確かに日本語としては自然だし、come and seeなんていう表現が出てくれば普通「会いにくる」と訳したりするから、構わないと言えば構わない。でも、今の彼らの段階でそれをやることはとても危険だと思う。構造がわかった上で崩すならともかく。

それから、この文章の出だしは

Mr Brown had a beautiful shop.なんだけど、これを「ブラウンさんのお店はとてもきれいだ」と訳している子が何人もいる。これも日本語で物語の出だしとしたら別に特に問題には感じないが、英語における「新出・既出」ということを考えると、いきなり「ブラウンさんのお店は」としてしまって良いのか、という問題がある。

英文を理解することと、それを日本語にすることには大きな段階の差があり、ここは私もとても悩むところである。文の意味が分かっても、それを日本語にするときにはまた一段大きな階段を上らなければならないからだ。「だから英文和訳なんかするよりも、英語を英語のまま理解させる方がいいのだ」という主張も聞こえてきそうだけれども、それはもっとたくさん浴びるように英語を読める環境にあればそれでいいのかもしれないけれども、うちの学校のように週に英語が2コマしかない学校で、しかも英語が苦手〜という子が集まっているこの学校ではそんなことは単なる理想論にしか思えない。

でも、生徒たちからこうも自然な日本語が出てきてしまうと、それをあえて翻訳調に直すことにはとても抵抗があり、しかし一方では英語の構造というものをちゃんと理解して欲しいと思うので、翻訳調でないとそれが確認できないというジレンマがある。

しかし良かったのは、He put it up in the window of his shop.という文の意味を取るとき。ここでのitは「掲示物」をさしており、Brownさんというお店の店長が、子どもたちに窓ガラスを指紋で汚されることがいやで出した張り紙なのだけど、put it upを説明するのに、Pat kicked Bob black and blue.という文を出したらこれはとてもとてもよく覚えていて、それを手がかりに説明することが出来たことだ。upは副詞だからちょっとちがうけど・・なんて言い出すときりがないので、ここは結果の状態ということで「『彼』がその『掲示物』を貼ったらそれが『見えるようになった』ということだよ」と言ったらそれはわかったようだった。今日やったクラスでは自分たちではそこは訳せなかったのだけど、明日のクラスでは出来る子が出るかどうか。。期待しているところだ。

put upで「(掲示物などを)貼り出す」という意味が辞書には出ているけど、それをひとつひとつ覚えるよりは良いのではないかと思う。

ううー。しかし授業時間がもう少し欲しい。試験までに長文が終わらなさそうなクラスがいくつかある。本当は自分たちで辞書を引かせながらもう少し時間を取ってやりたかったし。来週の土曜日からもう試験で・・ううー。誰か授業くれないかなあ。。

でも、4月は向こうも私に慣れていないということがあったのかもしれないけど、そして3年前より確実にできないなあーという印象もあったのだけど、歩みは遅いけど確実にできるようになっている(気がする)し、間違えてもいいから答えよう、という雰囲気とか、それなんだっけ?と聞ける雰囲気とかは随分できてきていて、なんか本当にかわいくなってきている。来年も引き続き今教えているクラスを持てるといいんだけどなあ。

と、今日は思っている。明日はまたウルサイ生徒にキレているかも・・(^^;;

それから、この「単語を意味から適当につなげてしまう癖」については、Bates & McWhinney(1989)で構文という単位で文の意味を考える傾向がある言語と、語と語の意味内容から文の意味を考える傾向がある言語の違いについて類型論的な観点から述べている。修士論文はこのことについて書こうと思っていたのだけど、構文ということに走ってしまったために、そしてその研究内容を直接仕事に生かそうという大きすぎる野望を抱いていたためにうまくは書けなかったのだけど、もうだいぶ前に読んで細かいところは忘れてしまっているのでもう一度読み直してみようと思っている。
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by blogbebe | 2004-11-25 20:24 |
2004年 11月 24日 |
今日は3年生でまた別のクラスで読みのテスト。今日当たっている子の中には、授業中に声をほとんど聞いたことがないS君がいるのでちょっと心配していた。いつも当てても何も言わないし、外国人講師の先生がいらしてペアワークなどやったときも全然やろうとしなくて、担任の先生に聞いても「あいつはほとんど誰も声を聞いたことがないから」と言っていたので、どうしようかと思いつつ、そのままになっていた。

そうしたら今日、ちゃんと読めるではないか!!小さな声だったけど(周りがうるさかったのかも)、わりとすらすらと読めていて、ところどころ発音が違うところはあったけど、でもまあまあの出来。2分経った後、「なかなかよく読めてたよ」と言ったらにこっと(「にやっと」か)笑ってそれもちょっと感激。席に戻ってからも少し笑顔が浮かんでいてホッ。いい機会だったのだなあ。もしかして彼もおとといの朝日新聞の投稿欄を読んだのか?・・まさかね。

1時間目の2年生は、授業観察。校長と副校長(最近では教頭先生をこう呼ぶ。名前を変えるのが好きなお役人。「学校を運営している」という気持ちを持たせるためらしい。・・知らん。)が何やら物々しくノートを持って後ろで見ていた。私はちょっとは緊張したけど、長文の導入のところだったので生徒たちが集中するのはわかっていたし(新しいところに入るときは集中度が高まる。物珍しさと、「今度こそ」という思いがそうさせるのであろう。)、このクラスは私が一番自分を開放できるクラスと書いたクラスだから(最近そうでもないんだけど)、安心して授業をすることができた。

1学期に授業観察が当たったときは、2年生の1クラスではあまりにも生徒が静かになりすぎてどんどん進み、時間が10分くらい余って、急遽ディクテーションをするという失態をしてしまったし、3年生のクラスでは、教師ではなく自分たちが観察されると思っていたらしく、まーよく発言してくれて参ったのだけど、今日はいつも通りでいい感じでした。

でも、ひとつ失敗。A lot of children came and bought them after school.という文で、themは店で売っているキャンディーを指すんだけど、このまま直訳すると「たくさんの子どもたちが放課後に来てそれらを買った」ということになる。「『それら』は何をさす?」と聞くとちゃんと「キャンディー」と出てくるので良いのだが、日本語の訳を書くときに「『それら』って入れると変だよ」という発言がS君からあって、それを大きくは取り上げないでしまったのだ。

ここは英語では目的語が省略されにくいということを伝えるのにちょうど良かったのではないか。しかし日本語訳だけを見てみても、ここに何も入れないでしまうとちょっと落ち着きが悪く、自然な日本語という点で言うと「たくさんの子どもたちが放課後に来て、キャンディーを買った」と、再び同じ名詞を出して言うのが普通だろう。そのようにして対比させた方が良かったかもしれない。

次回のこのクラスの時間には、もう一度そこを取り上げて少し説明をくわえようと思う。例文も多少用意した方がいいかもしれない。

次の文、Some of them looked into the window of the shop first.というのがあって、これをI君(ジュースを授業中に買いに行って怒られた彼)が「彼らの何人かは店にくるとはじめに窓の中を覗き込んだ」と訳している。into〜は英語では前置詞句で表すけれども日本語では「覗き込む」なんていうややこしい形がぴったりである。。ううむ。これはどうしようか。単に「日本語では着点を動詞で表す」というタイポロジー的な観点に当てはめてしまえば楽なんだけど、この場合は「込む」なんていう、もはや動詞とは言えない文法化された語が使われている。どうしようかなあ・・。このクラス、試験まで実はあと2コマしかない。なのに今日、長文に入ったばかり・・。でもここってすごく面白いところだよなあ。

今日は朝から頭がすごく痛くて(何のことはない、昨日、お風呂から上がって頭をよく乾かさないで寝てしまったのだ)、学校にいる間は寒気がするし、これはヤバいと思ってなけなしの休暇をはたいて(←まだ残ってはいますがそういう時にも使えます?)帰ってきたのにこんなもの(っていう言い方もひどいけど)書いてる私。。そろそろやめて暖かくしてのんびりします。明日あさってがきついんだから。
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by blogbebe | 2004-11-24 18:24 |
2004年 11月 23日 |
先ほど、日テレで記憶のチカラという番組をやっていた。今日は大好きな「踊るさんま御殿」がスペシャルで2時間あって、それをみたあとなし崩し的に見ていたのだが結構面白くてみてしまった。

日テレだったのでなんとなく「やらせじゃないか」というイメージも伴わないこともないのだが、まあそれをさておいても、人間の記憶というのは実に様々な脳の働きによって支配されているということが紹介されていた。

トランプの52枚の順番を、1分強ですべて覚えてしまう20歳の女性や、何年の何月何日、と言われればすぐに曜日を言えて、その日に何があったのかということも言えてしまう男性、そしてこれは日本人の男の子だったのだけど、部活動(アメフト)中に頭を強打してから全く記憶ができなくなってしまっている人の話・・

こういう話を聞くと、なんか授業で強制的にいろいろ覚えさせたりしてテストしたりするのがちょっとイヤになってくる。もちろん、英語の成績ですべてが決まるわけではないのは当然なのだけど、先ほどの曜日を言える男性などは、時折自分の記憶力がとても負担になると言っていたし、また、アメリカの国立衛生研究所(だっけな)でMRIの第一人者と自閉症の専門家に脳を研究させてくれと言われたときに快く引き受けたのは、「自分が他の人と違うのではないか」ということにとても悩みを感じていたからだということも語っていた。

MRIの機械から出てきた彼は真っ先に「私の脳は他の人より小さかったりしますか?」と聞いたらしい。そしてそんなことはないと聞いて「普通の人と同じだということはとても安心します」とコメントしていた。

でも結局、このことについての研究成果はこれだけ。そんな簡単に研究所も日テレごときにそのあとの研究結果を売ったりしないでしょうけどね。

それから、「唐沢寿明presents」というのはちょっと余計。唐沢寿明さんがいやとかそう言うことじゃなくて、なんかどうしてああいう寸劇みたいなのを入れないと気が済まないのかなあ。NHKでもよくキャラクターとかが出てきて「へー、そうなんだ〜」とか言わせたりする。アレが本当に見ていて余分。そんなの入れなくていいから、その時間と労力で中味を充実させて欲しい。

・・・

今日は引っ越し先のリフォームの相談などに行っていて、気持ちは完全にそっちにとられてしまいました。明日ちゃんと仕事モードになれるかな。それが心配です。
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by blogbebe | 2004-11-23 23:29 |
2004年 11月 22日 |
今日は1クラスで読みのテストに入った。しかし・・今日やる予定だったクラスの半分15人中3人が欠席。。あろうことか。まさか、テストがいやで休んだんじゃないよねえ?まあそんなことはないと思うが。

で、まあともかく12人分やった。一人2分の制限時間で、前に座っている私のところに読みにくる。2分間で読めるところまで。初めに全体で練習をし、その後、テスト待ちの子とテストがない子用に、期末テスト対策のプリントを配っておいて始めた。

読みの方は、まあまあの出来と言ったところ。発音もよいしスラスラ読めるし、という子はいなかった(発音がみんなカタカナ)けど、すらすら読めてる子は何人もいて、半分の子にAをつけた。そして4人がB。Bというより私的にはCなんだけど、まー、もし何もしなかったら全く読めないだろうから、たどたどしていても一応読めているのでB。発音の間違いもいくつかあったけど、とりあえずB。

で、2人はやり直し。そのうちの1人、U君は全然読めなくて、飛ばし飛ばし読める単語だけ「"you!"・・・それからー・・・"Mamma Mia!"」とかって、もう全然歌詞になってない。しかもその単語を発音するとこっちを「合ってる?」って顔で見てくる。「いーから、どんどん読んで」と言ったのだけど、「オレダメだよー、緊張する」とかいって全然進まない。緊張って、みんなは思い思いにプリントやったり(やってないけど)練習したりしゃべったりしていて、誰もキミの読むところなんて聞いてないよ、と思ったけど、なんか緊張するらしい。

「練習した?」と聞くと、「した」という。したわけないよなあ、してたらもう少し読めるよなあ、と思ったけど、「ウーン、でもこれじゃあ全然ダメだから、来週もう一回やるから練習してきて。何度も声に出して読むんだよ。一日30分!」と言ったけど、「オレそんなに勉強したことない」と言う。。

彼は悪い子じゃない。掃除とかもサボらずに必ず私を呼びにくる。(このクラスは私が副担任なので掃除の分担も当たっているのだ。)そしてとても人懐っこいところがあり、掃除で私を呼びにくるときは必ず「先生、掃除終わりました」と来る。「えーー?終わってるわけないじゃん」「いやいや、本当に終わりました。いやー、今日はゴミが多くて大変だったな」と言うので、「そうかー。ちなみにどんなゴミがあったの?」と聞くと「うーん、弁当の食べかすがあった」「へー。何弁当?」「弁当はわかんないけど、パンの食べ残しもあった。クリームパンだった」「え?クリームパン残すの?なんで?」「たぶんチャイム鳴っちゃったんじゃないかな」・・・とかそういう意味不明な会話を延々続けられる面白さがある(笑)

もちろんこれは全部ウソなんだけど(言うまでもないか・・)、私がつっこんでも切り返してくれない子も多いし(くだらなすぎるだけかも・・^^;;)、肝心の話はできないけど、コミュニケーションの取り方は上手だと思う。

でも、英語はからきしダメなんだよなあ。。いつも「先生、オレ、英語大丈夫?」と聞いてくるんだけど、それが本気でそう言っているのか、単にコミュニケーションの一環として聞いているだけなのかも今ひとつつかめない。本気だったらもうちょっと練習するよなあ。。

もう一人のやり直しのY君は、U君ととても仲がいいのですが、以前は全然私と話なんかしてくれなかった。話しかけてもむすっとしてにらんでる感じ。でも、このコミュニケーション上手の友達のおかげか、最近はあれこれとくだらないことも言える(?)ようになってきて「あれ?Yって昔こんな口の聞き方したっけ?」というくらい愛想が良くなった。ある意味、今がデビューしたてなんです。で、おそらくやってこなかったのだろう。彼も来週もう一度やり直し。彼はU君よりはずっと上手だったけど、それでも全然ダメだった。2行読むのがやっと。

しかし、スラスラ読める子も全くカタカナーっていうのはちょっとガッカリ。発音指導もきちんと高校3年間の中で取り入れて行かないといけないということを今日は改めて感じました。

2年生の放課後の勉強は、今日は私がどうしても時間割をつくらないといけなかったので水曜日に延期。彼らにそのことを告げに行くと、彼らも今日はどうしてもカードゲームをやりたかったらしく、「オレも今日はどうしてもこの勝負が・・」と言っていたので利害が一致♪・・ってそんなんでいいのか?ま、いいでしょう。また水曜日から、ということで。

でもやっぱり連休明け(金曜日も休みだったので3連休だった)は私もなんか体中に変に力が入る。明日も休みだから、また体が戻っちゃうな。水曜日から本格的に戻さないと。
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by blogbebe | 2004-11-22 20:21 |
2004年 11月 21日 |
先ほども書いたが、今朝、村上春樹・柴田元幸対談集「翻訳夜話」を読んでいた。その中で村上さんはご自分にとっての翻訳は、小説を書くことに欠かせないものであり、両者はバランスをとっているということを話していた。

「例えば『ねじまき鳥クロニクル』みたいな長いものを書いているときは、一種の放心状態になっちゃうから、三ヶ月続けて書くとそのあとしばらく休養をとるわけです。休んでいる間は、こつこつと翻訳をやっていることが多いですね。手仕事みたいな感じで。それで自分の中で消耗されたものを埋めていく。それで消耗が埋められて気力が出てくると、またそこで小説にかかることになります。『雨の日の露天風呂』というシステムがありまして、雨の日に露天風呂に入る。長くお湯に入っていて体が温まってくると、お湯から出るじゃない。出て外で雨に打たれていると、だんだん冷えてくるじゃない。・・・(中略)・・・そういうのって一日ずうっとやっていられるんですよね。」(p.37-p.38)

これって、私にとっての仕事と勉強に似ているなと思った。私にとっての仕事は村上さんにとっての小説。ずっとやっていると消耗してくる。自分の中が空っぽになってくるのを感じる。このままだとダメになる、と思う。そして勉強する、これが村上さんにとっての翻訳。村上さんが翻訳家になりたいと思っていたわけではないとおっしゃっているように、私も言語学を少し勉強したけれど、言語学者になりたいと思ったことは実は一度もない。でもそれをしなかったら、自分の中が乾いていってしまう。

村上さんは、「翻訳をしていると癒される」とも書いていらした。私も最近はあまり読めてないけど、ライフログに入っているような本を読んでいると癒される。勉強になるなーとかそう言う感じより、癒されるなーという方が強い。変だろうか?

理屈の上では、単に生徒に英語を教えたからと言って自分の中から何かがなくなってしまうなんていうのはおかしい。だって、別に減るもんじゃなし、と思う。逆に生徒に教えることで自分の中でもはっきりとわかるようになることもあるし、消耗するよりもむしろ充実してくるのではないかとさえ理屈では思える。

が、実際は違う。ちょうどテストの頃になると自分の中が空っぽになってきてることがわかる。あぁ、ダメだ、本当にテストで良かった、と思う。そしてテスト期間の数日の間に徐々にまた気力が戻ってくる。そしてその気力のもっとも充実させる期間が夏休みなのだ。

なのに最近では教員の夏休みが奪われている。学校の先生は休み過ぎなんだそうだ。そういう風にいう人は、おそらく仕事をすることで自分の中が空っぽになっていくということを感じたことがないのだろう。だからそう言うことが平気で言える。

私にとって、生徒に教えるということはただ知識を教えているというよりもむしろ何かを創作しているという方に近いのだろう。だから空っぽになるのだろう。私と同じように感じる先生も多いだろうと思う。そうでない方もいらっしゃるとは思うが。

だから、なんとか工夫して村上さんの翻訳に当たることをしていかないといけないのだな、と改めて思った。
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by blogbebe | 2004-11-21 20:13 |
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