高校英語教師の授業日記

思ったことなどを時々書いてます
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2005年 03月 30日 |
おとといの夜から(正確にはおとといの昼間から)具合が悪いなー寒いなーと思っていたらまたしてもすごい風邪を引いておりました。昨日はもうまったく起き上がれず、今日もほとんど寝てばかりの1日でございます。。

おとといの夜は早く床についたはいいが、気持ち悪くて何時間かおきには目が覚めてしまい、もうほんとに参った。汗をかいて2回着替えたあとからはやっと眠れるようになりましたが。

それにしても今年は本当に良く風邪を引くものだ。人に話すと「疲れがたまっているんだよ」と慰めてくれるんだけど・・もしかして私って体弱い?と思っちゃいます。

でももともとそんなに強くはないんですよね。精神的にも。すぐ凹むし。飽きっぽいし。あんまり大それたこと考えず、ぼちぼち行くのがいいのだと思います、ハイ。

昨日と今日はお休みをもらって、本当は今日は前の学校の同僚と久しぶりにお茶する予定になっていてすごく楽しみにしていたのにそれも断ってしまったのだけど、明日は学校行かなきゃなあー。時間割見たらまた熱が出て来たりして(- -;;
明日は早めに切り上げさせてもらおう。
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by blogbebe | 2005-03-30 15:13 |
2005年 03月 28日 |
世間は(っていうか学校的世間では)春休みなのに、私たち数人は今日も全日出勤で時間割作成。空いた時間にトマセロの本でも読もうかと重い思いをして持って行ったのに、触ることすらできず。当たり前なんだけどさっ(-。-)

うちは工業なので、工業系の科目がやたらめったらたくさんある。しかも実習系も多いので、ティームティーチングだったり何カ所かに場所が分かれていたり、同じ時間にこれとこれがだぶっちゃいけないとか、まあそれはそれは条件がものすごくたくさんある。そのため、その工業系の科目を入れると、英語や国語などのいわゆる普通科目はその空いたところになんとか入れて行くしかできず、「どういう時間割をつくったら生徒達がきちんと効果的に勉強できるか」といったようなことまで全く考えていられない。だから、英語は週に2時間しかないのに、月曜の1時間目と金曜の6時間目、なんてこともままある。そしてそれを変えようとしてもどうにも動かない。

唯一、努力して改善しているのは、教員が3時間連続で授業に入らないこと、それから週に2時間の授業であったら、両方とも午後になるということは避けるということ。これだけを改善させるのにもものすごく大変。。結局そうならないこともある。

教員が3時間連続にならない、というのは普通高校の人たちからしたら「なにを甘えたことを」と言われるだろう。私も異動して来た当初はそう思った。しかし、3時間連続というのは、ものすごく疲れるのだ。。肉体労働に近いので。おそらくそれをしたら3コマ目はぼーーっとして貧血になるかもしれない、ってのは大げさだけど。

今日はお昼休憩と、3時頃お茶の休憩を取った以外はずううーっと時間割盤とにらめっこしながらコマを入れて行ったけど、結局、今日の段階では4時間連続の先生なんてゴロゴロいるし、6時間目と6時間目、という2コマで入ってしまってる授業とか、まあ穴だらけのままで終わってしまった。4月の始業式は6日。今回は土日が間に入っているので、作業できる時間はとても少ない。できるのか?とても心配である。

そうして青い顔して3人で仕事してるのに、この前書いた、今度異動することになったうちの主任様は、私たちに一言の声もかけてくれないまま、自分の机の掃除だけさっさとして午前中に帰ってしまった。いくら異動が決まったからと言っても、時間割作成はうちの分掌の仕事ですよ?一言くらいなにかあってもいいんじゃないか。しかも、主任ときたもんだ。1年間、ずっとこんな感じだったんで今更なんだけど、本当に改めて「ひどいなあ」と思いました。ほんと、ひどいです。私は怒っているのを通り越して、もう本当に傷ついていますよ。あんな人が主任として私たちより多い給料をもらって偉そうにしているかと思うと。そしてそんな人を野放しにしている管理職にも怒りが向きます。何を管理してるんだと。勘弁してくれ、本当に。
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by blogbebe | 2005-03-28 18:52 |
2005年 03月 26日 |
久しぶりに言語学者の講演会ートマセロの講演会に行って参りました。

どうせそんなに混んでないから、ギリギリでいいかな〜と思って5分前に行ったら、なんともう会場はぎっしり・・えーっ、昔はこういうの、すごく空いていたような気がするんだけど・・認知言語学人気か、はたまた言語習得人気か、もしかしたら大堀先生の力?だとしたらすごいんだけど。意味もなく緊張してしまいました(笑)

トマセロは、ライフログにある"The New Psychology of Language"で読んだのと、あとは去年のクラスで読んだのくらいで、今日宣伝していた新しい本Constructing a Languageも実は大枚はたいてハードカバーのうちに買ったのは良かったんだけど、まあやっぱり私の知りたいこととは少しずれるために、読みかけて止めていたから、今日の講演もわかるだろうかと心配していたのだけど、とてもわかりやすくクリアーな英語で、しかも内容もとても整理されていて、大変面白かった。こんなにわかりやすく英語で講演できるなんて、すごいなあと思ってしまった。私なんか日本語でやれといわれても一生かかってもできない気がする。。

家に帰って来てからこのConstructing a Languageをぱらぱらと見てみたけれど、今日の話はここに出ているようだなあ。ってことは、新しくCDを出したアーティストが新曲を披露するために全国を回っているようなものか。・・なんて失礼な・・。

でも本当に、一人でじっと本を読んでいるよりも、クリアーな英語を聞きながら説明してもらった方がスイスイとわかるしやる気も起きる。やっぱり講義を聴くのは本を読むよりも好きかもしれない。しかもさっきも書いたけど論理立てた説明がうまいし、まるでわかりやすい論文を読んでいるよう。すごいもんです。

でも全部わかったかと言うと当然そうでもなく、「ん?」って箇所は何カ所もあった。あああー、やっぱり勉強は足りないですね。講演のあと質問していた人たちは偉い。先生も何人もいたけど。てか、学生もいたのか?よくわからない。しかし日本人の英語ってやっぱりどんなに発音が良くても聞き取りにくいですね。発音が良ければ良いほど聞き取りにくい気がする。質問内容がわからないけど、そのあとのトマセロ先生の説明はよくわかったりして。普通は逆だ。

いかんせん時間が足りなくて、内容はまとめっぽいことが多くて、反例とかもあまりなかったのでたぶんそのあとの先生方たちとの私的なやりとりなどではもっと深く突っ込んで話をするのだろうなという気はしました。そういうのも聞いてみたい。

久しぶりにあった、大学院時代の友人達も元気そうで嬉しかったです。研究を続けていることも本当に頼もしい。私もできればそういう道に行けたら良かったなあー。でもいろんな意味で無理と判断したので、仕方ないんだけど。でもなるべくこれからもいろんな機会をムダにしないように、大切にしていこうと思いました。
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by blogbebe | 2005-03-26 17:56 |
2005年 03月 25日 |
やっと終業式。でも今回は春休みに土日が2回も入ってしまうため、実質の授業がない日はすごく少ない。その間に時間割の作成という大仕事が入っているので(もちろん私一人で作るわけじゃないけど)、春休みは無いに等しい・・悲しいよー(T0T)

でもとりあえずけじめの3学期終業式。あ、修了式か。

放課後は5組で掃除をさぼった回数が多かった子(らしい)が職員室に呼ばれ、職員室にあるリサイクルボックスの掃除をさせられていた。私もちょうど時間があったので手伝っていたら、その子の仲間もどんどん増えて来て、おしゃべりしながら楽しく分別&ひもでしばっていった。久しぶりに生徒たちとおしゃべりして楽しいひととき(^^)

その後は職員室内の大移動。私は座席が替わらないので自分のところの掃除を少ししてからあとは印刷室及び流しの掃除。「やりはじめたら止まらなくなったでしょ?」とからかわれるほど、印刷機をどけて掃除機をかけたりとか、流しもガンガン拭いたりとか、ちょっとやり過ぎで疲れた。3時頃からは職員室にかかってくる電話の応対などしながら、机の掃除をしている人たちを横目に、まったりと英語の勉強をさせていただきました(^^;

そう、これからの目標は、「人目を気にしないこと!」。人が何をしていようが、マイペースを保つこと。勉強なんかしてると時々からかわれたりするんだけど(そういうのって本当にどうかと思うけど)、そんなのは気にしないこと!そうしないと、また疲れてしまうから。

で、勤務時間終了で帰って来たのでありました。

来週からはいよいよ時間割の作成だ。。できるのかな。それに、他人とペースをあわせながらやるのが大変。一人でできる仕事の方が楽って言えば楽なんですよね。

さて、終業式の前に行われた離任式で、8人ほどの先生がご挨拶をされたのだけど、その中から心に残ったいくつかの言葉を。

理科のO先生。「私はレポートなどをかなり厳しく見てきたのでだいぶ反発も買いましたが、君たちには『工業高校生』として、きちんとした技術を身につけ、将来、その技術を生かして世の中に役立つ仕事をして欲しいと期待していたからそうしていた。工業高校生にしかできないような技術を身につけることはとても大切なこと。頑張ってください。」

電子機械のK先生。「私も工業の定時制の出身だったのだけれども(注:この先生は今度、工業の定時制に異動になりました)、定時制と言うとみんなイメージが悪いように感じるかもしれないけれど、定時制の生徒達というのはみんな勉強に対してはっきりとした目標を持っている子達が多い。例えば、絶対に高校卒業の資格を取るのだ、とか、働きながらだけれども一生懸命勉強したい、とか。君たちも目標を持って勉強に取り組んでください。」

逆に、私的にはNGの挨拶(←そんなの書くなよ)

○○科の○○先生。「何でもいい、勉強でも遊びでもいいから夢中になるものを見つけて欲しい」(そんなこと言ったら彼らはマンガしか読まないのに)(っていうか、この人、そんなこと言う資格ないし)

でもこの先生が異動すると聞いて、私と一緒に放送室にいた放送部員のHさんは「え〜。。毎年いい先生が一人はいなくなっちゃう」といって悲しんでいた。・・・目が点。生徒というのは意外と見る目がないのだな。この先生は適当にヨイショするのがうまいから、だまされたんだろう。だまされるなよ!!と言いたかったけどそれは言っちゃいけないだろうとグッとこらえ。

悪いけど、私たち教員は(少なくとも私は)この先生と一緒に仕事をしなくてよくなって本当に嬉しいのであります。異動先でも仕事しないんだろうなあ・・ってこんなこと書いてる自分がイヤになります。人を嫌いになるのは嫌な気分だから、どうにかこの人とは話をしてわかり合いたかったのだけど、無理でした。残念です。

話がずれまくりましたが、以上、終業式の1日でした。
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by blogbebe | 2005-03-25 21:33 |
2005年 03月 24日 |
今日は来年度の教科書販売。新1年と新3年が買う日だった。新3年は2万円くらい、新1年は製図用具とかポケコン(ポケットコンピュータ)などとあわせておよそ3万円くらいの値段。。

学費も滞って退学になってしまう子もいるというのに、ほとんど使わないこともある教科書を買わせなくてはならない。

例えば英語は英語1というのとオーラルコミュニケーションというのが必修単位になっていて、これを高校として履修するためには文部科学省指定の教科書のうち、どれかを選んで買わせなくてはならない。お兄さんが使っていたから弟はお下がり、とか、学校で余っているからそれをあげる、とか、学校の予算で買って希望者には貸し出す、とかそういうことは全く認められない。どんなことがあろうとも買わせなくてはならない。お金も、資源も、本当にムダ。これが資本主義らしい。

昨日、ライブドアの堀江氏の記者会見があり、全部は見てないけど、「メディアをどんな風にしたいのか」という質問に対する返答を聞いたけど、やっぱり何を言っているのか私には皆目分からない。お金儲けがそんなに大事か。ご苦労さん、って思ってしまう。もっと楽しいことが他にあるのになあ、と。

お金は大事だし、資本主義の恩恵もたくさん被っていることは確かだ。でも少なくとも毎年新品の教科書が大量に売られているのを見ると、もったいないなあと思う。

なんて、ブログなんていうかなり便利なものを利用しながら言ってるんだから説得力ないか(笑)
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by blogbebe | 2005-03-24 20:13 |
2005年 03月 23日 |
今週はもう授業がなく、今日は大掃除や教科書販売、机や椅子の移動を行って午後は会議。そのため、担任のない私はほとんど生徒とも会わずの1日だった。

この学校で勤めていることによってつきまとうストレス、それが今月に入って急激に増して来ていたのだけど、そのストレスがどこから来ているのかということがこの前の日曜日にはっきりしたことで、昨日と今日はこれまでとは全然違った精神状態で学校にいることができた。

自分が好きなこと、自分がやりたいと思っていること、それがはっきりと見えているときは、多少仕事が思い通りに行かなくても、人間関係が理想通りでなくても大丈夫。それはそれ、と割り切って考えることができるから。

どんな人でも、他人と一緒にいると少なからず気を使ってしまうものだと思うのだが、周りの人を見ていて思うのは、私は多少、他人よりもそれを気にしすぎる傾向があるために、必要以上に周りの人との人間関係に一喜一憂してしまうのではないかということ。みんなもっと楽に生きているように見える。そんなことないのかもしれないけど。もちろんそういうことだって大切なのだけど、それが過ぎると自分が見えなくなってしまい、知らないうちに疲れがたまっている。

きっとどんな人でもそうだと思うけど、年をとるにつれてそのあたりの力の配分が上手になって来たので、生きるのが楽になって来たのだと思うけれど、それをもっと日頃から意識することによって、自分自身がもっと楽に生きられるのだろうと思う。こういうことがわからないから、中高生の頃というのはものすごく疲れるのだ。楽しかったけど、人間関係からくる疲れはどうにかならないものかといつも思っていたような気がする。感受性が豊かな分、感動したり悲しかったりという感情の起伏も大きくて、それは楽しかった反面、もう戻りたくないもんなあー。

今の状態を保つためにも、疲れて来たらこのことを思い出して自分自身の目標や進んできたい道を確認していきたい。本当に疲れているときはそれすらできないんだけどね。
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by blogbebe | 2005-03-23 19:56 |
2005年 03月 20日 |
2ヶ月前から参加し始めた英語研究会に今日行って来た。先月、法事があったために参加できず、今日も実は寝坊してしまったのでどうしようかしばし悩んだのだが、でも行って良かった。それはあることがわかったから。

それは、私が今ためこんでいるストレスというものは、職場の人間関係にあるのだということ。

と言っても、決して人間関係が悪いというわけではない。職員室の雰囲気はとてもいいし、授業が終わったあとでいろんな先生達と「今日は○組はこうだったよ」とか「○○くんは今日は機嫌が悪いから気をつけた方がいいよ」とかそういう情報交換が盛んに行われるし(行わないとやっていけない)、気軽に話せる雰囲気もとてもある。だから本当はストレスなんてたまるわけはないんだけど、私の場合はたまる。その原因はというと、一言で言えば「価値観の違い」である。

昨日、「ごくせん」の最終回を見ていたときにも少し感じた違和感であったのだが、ご覧になった方はわかると思うけど、最後に「ヤンクミ」が壇上で挨拶をする。そこで、「おまえらは勉強はできなかったかもしれないけど、高校生活で大切なものを学んだ。それは仲間だ」というようなことを言ったのだ。ここは一般的にはジーンとするところであるし、私も実はちょっとジーンとした(何じゃい)。でも同時に感じた違和感。「勉強はできなかったかもしれないけど」・・これだ。

だいたい、学校というところが勉強するところだ、という価値観が現在はかなり崩壊していると言って良いと思う。教員にこの問いをストレートに聞くと必ずと言っていいほど「学校は勉強をするところだ」と言うけれども、でも実際に本当にそう思っている人はどれくらいの割合で存在するだろうか?

確かに、勉強だけしていればいい、ということはない。人間関係だって、家の中でだけでは学べないルールだって学校では学ぶ。それはいい。でもそれを前面に押し出してしまって良いのだろうか、と思う。

思春期のころ、人間関係ではいろいろな悩みが発生する。友達関係での悩み、自分に関する悩み・・。そしてそれを解決してくれるのは、もちろんその人間関係の中からかもしれないけど、それだけに埋没しないでいることとか、発想の転換が図れることとかから突破口が見出せることも多い。それを教えてくれるのが、学問なのではないか。そして教師はそれを最大限に充実させるようにするべきではないのか。

今、私が勤めているところでも、おそらく先生方は「勉強は大切だ」とおっしゃるだろう。でもそれは、私が今言いたいことよりもずっと軽い感じがする。現に、「試験前だから頑張れ」とか「試験が終わったあとの授業はやりにくいからやりたくない」とかいうセリフを当然のように言う人が多い。そうじゃないだろう。勉強ってそうじゃないだろう??って思うんだけど、そこはわかってもらえない。

今日の英語研究会では、純粋に英語の勉強をしたい人が集まっている。そして、その中にいて、私は自分が楽に呼吸をしていることに改めて気付いた。そう、こういう雰囲気が欲しいのだ。こういう雰囲気に飢えているから、私はストレスがたまっているのだ。

今の学校の先生達は嫌いじゃない。生徒は、かわいいと思う。でも、なんとなく「私がいる場所じゃないな」という感じがする。私の言葉はみんなには伝わらないし、みんなの言葉も私には伝わってこない。

進学校とかそういうところに行けば、少しは呼吸がしやすくなるだろうか?生徒はどこに行ってもいるし、仕事はどこに行っても大変。だったら私が少しでも呼吸しやすいところがいいのかもしれない。
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by blogbebe | 2005-03-20 18:43 |
2005年 03月 19日 |
1組の1、2学期は本当に大変だった。うるさくてうるさくて、しかも「誰がウルサイ」と特定できない。大声でしゃべっている子、ゲーム、マンガ、携帯、そして静かだなあと思うと寝ていたり・・しかしここのクラスはもともと力のある子が多いこともあり、授業に乗ると他のクラスよりも1.5倍くらいは早く進む。答えがバンバン出てくるし、「なんでそうなるの?」などという質問もあちこちから飛んで来たり、とにかく「うるさいけど開放的で、明るくて、気を使わないクラス」という感触のクラスであった。

それが3学期になって成績のふるわない、うるさいのの主犯格だったような子達が「まずい」と思い始め、授業に前向きになって来てから、俄然、雰囲気が変わった。授業を始めると静かに説明を聞いている。問題をやらせるとどんどん解く。回っていくと質問が出る。「え?これが1組??」という時間が増えていった。

しかしやはり1、2学期にサボリ癖がついてそのまま回復できなかった数人の子達は、英語や国語などの普通科目はなんとかクリアしたものの、工業関係の実習だの設計だのといった、1、2学期のレポートを出していないツケを払いきれない教科で赤点が続出。結局、28人いるクラスのうち、7人が進級不可能となった。

おとといまで授業があったのだが、そのおとといの私の最後の授業はこの1組であった。授業が終わり、LL教室に移動していたのでみんなゾロゾロと教室に戻っていく中、この進級不可能になった子のうちの2人がLL教室から帰ろうとしないので少しおしゃべりをした。

二人とも、「もうオレらは進級できないからダメだ」という。「これからどうするの?」と聞くと、一人は定時制に編入する予定なのだが、単位が足りないから3年には編入できない。そうすると2年に編入することになり、卒業がみんなよりも2年遅れる。(定時制は4年間なのだ。)2年も無駄にしたことになるからやっぱり止めようか、と落ち込んでいる。でも高卒の資格は取りたい。

2年くらい、後から考えたらどうってことないよ。若いからすごく大きく感じるかもしれないけど、仕方ないじゃん、と言ってもその2年間にこだわって悶々としている。しかも定時制だと夜だから、昼間バイトしたら全然遊べなくなっちゃうじゃん、と言う。まだ遊びたいのか・・まあそうだろうけど、そういう発言を聞くと今回のことがあまりこたえていないんじゃないか、と思ってしまう。

もう一人の子は、定時制に行くかどうかも迷っているという。「でもオレ、本当は専門に行きたかったんだよなー」というので、「何の専門?」と聞いたら「自動車整備の専門学校に行ってそういう仕事に就きたかった」という。なぜ過去形?いいじゃない、1年遅れるけど留年してそういう専門に行けば?と言うと、もうダメだ、という。17歳のうちにやっておきたいことがあって、それがもうできなくなっちゃうからダメらしい。それが何なのかは教えてくれなかったのだけど、それを18歳に延ばせばいいじゃん?と言ってもそれはできないという。

100か0か。そういう強引な分け方をする子が多い。「オレはもういいよ」「オレはもうダメだ」と、100じゃないとすぐに0にしてしまう。100が理想だけど、80のところでギリギリ耐えていく、ということが我慢できない。この2人に限らず、「もうダメだ」的な発言はこの学校では本当によく聞く。

この2人に対していろいろ思うことを言っていたら、「先生、オレ等がいなくなるのが寂しいんでしょ?」というから、半分呆れながら「そうだよ、寂しいよ」と言ったら「時々遊びに来てやるよ」と笑っていた。まったく何を考えているのやら・・。遊びにこなくていいともいえず・・。そんなこと言ったらその発言の裏を読めずに(自信が持てるようになったら遊びに来ていい、という意味)、ただ「オレたちは嫌われている」と思い込んで去っていきそうなので。

世間では「ごくせん」が大流行りで、毎週視聴率はトップ。うちの夫も毎週楽しそうに見ているけれども、まったく力が抜けてしまいますよ。結局、世間はああいう「神様的」な存在を学校に求めているんですかね。あれは水戸黄門ですよね。それに、あんなに義理人情に厚い生徒ってのもおそらくほとんど存在しない。そういうことをわかって見てる人たちばかりならいいんですが、あれを鵜呑みにする層が多くありそうな気がしてとても怖い。堀江さんはあまり好きじゃないけど(目的が金儲けとしか思えないから)、もし彼がフジの株を買い取ることによってまともな番組が増えたとしたら、それはそれで嬉しいなあとも思ってしまう、今日この頃でありました。あれ?ごくせんはフジじゃなかったっけか?
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by blogbebe | 2005-03-19 11:07 |
2005年 03月 16日 |
昨日書いたDくんのクラスの授業があった。いくなり、Dくんが「オレ、英語ダメなの?」と聞いて来た。「テストで決まるところを、同じテスト用紙で再試験までやって、それを50点で合格っていってあったのに30点だったんだからダメだよ」と言ったら「もう一回やってよ」と言う。ふざけるな!と言いたかったのをぐっとこらえ、「他のクラスの赤点の子もみんな同じ条件でやっているし、そういう約束でやっているんだからもうダメ」といっても「そこをなんとか」とか「前の日は勉強できる環境じゃなかった」とかいろいろ言ってくる。「でも前の日にプリント渡したんじゃないでしょ?」「1学期からずっといってたのに授業中だってマンガ読んだりして全然聞かなかったじゃない」「提出物だって今回しか出してないじゃない」と言っていたらやっとあきらめて「じゃあいいや」と落ち込んでいた。

同じクラスで、欠時数がかさみ、今日欠席したら規定の出席日数が足りなくなってしまって進級できなくなると前からわかっていたKくん。彼が全然姿を現さない。今日は授業はバックトゥーザフューチャーの最初の方を見ながら完了形と進行形が出てくるセリフを聞き取って訳してみるということをやっていたのだけど、もうこれ以上遅刻したら出席にならないという時間の10分くらい前から「先生、あと10分だよ。あいつ、来ねーよ」という言葉が聞こえる。そして1分前になるあたりからかなりざわざわし、10秒前からカウントダウンを始めたのは先ほどのDくん。。進級できないのが1人というのは不安だったのだろう。

結局、Kくんが教室に姿を現したのは授業の終わる10分前。その時間では出席にはしないことになっているので、結局、欠時オーバーで進級不可能。Dくんは大喜び。「おい、K、一緒に転校しようぜ」と声をかけている。

授業終了のチャイムが鳴って教室の戸をガラガラと生徒が開けた途端、教室に入って来たのは担任の先生。「来た?」という目をするので「来たのはさっきです。10分前」と言ったときのその先生の顔を私はずっと忘れないだろう。そしてそのKくんを見る目・・・。私が泣きそうだった。

担任の先生は、クラスの生徒達を本当によく面倒見ていた。遅刻したと言っては家庭に電話をかけたり本人の携帯に電話をしたり、無断早退も決して許さない。面接も細かくやって生徒達の気持ちをよく聞いてあげていたし、そのおかげか、このクラスの子達はうるさいけどとても暖かい雰囲気があった。

そこにきてこの2人のいい加減な行動。それが、この、もうすぐ修了式というところにきて出てしまうということ。私もガックリきたし、その担任の先生のお気持ちは計り知れない。

どうして、今日来なければ進級できないとわかっていて寝坊するのか。どうして期末テストの問題と、記号の順番さえも同じに作った追試の問題を覚えてこないのか。記号だけでも丸暗記してくればいいじゃないか。1番は、「ウ・ア・イ・カ・エ・オ」なのに。それで12点だぞ?そしてさらに言うなら、それまで自分がどれだけいい加減だったのかということを考えないで「もう一度チャンスをくれ」なんていうのか。「すみません、追試までやってもらったのに」となぜ言えないのか。

「そんなことまで言えないよ、ここの学校の子達は」とある先生は言う。でも本当にそうなの?そしてそんな風に割り切った気持ちになぜなれるのかということさえ、私にはわからない。
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by blogbebe | 2005-03-16 22:08 |
2005年 03月 15日 |
3組にDくんという子がいる。彼は1学期から全く授業を前向きに聞かなかった。学校は大好きで欠席はないのだが、とにかくやらない。ひらすら友達としゃべっているか携帯をいじっている。注意するとそのときは「ごめんごめん」「はいはい」と聞いて一瞬止めるのだが、結局すぐに元に戻る。英語の時間だけでなく、他の時間にもそういうことが多いらしく、1学期、2学期とも成績は低迷、3学期になると普通は少し「まずい」と思ってやり始めたりするのだけど、このDくんは全くの余裕の表情で、一応少しはマシにはなったが(ノートはとるようになった)、テストは散々な結果。

こんなに徹底して授業に取り組まない生徒は他にはいないので、放課後の補習に誘うのもなあ。。と思いつつ、結局3学期の期末テストも20点台だったので、今日、再テストを行った。

だいたい、再テストというのもとてもやるのに抵抗があった。テストの前には「対策プリント」を配っていて、そこには答えもついており、そのプリントから全く同じ問題を40点は出したのだ。だからそれをきちんとやっていればまあ多少間違えたとしても30点は取れる。記号問題もたくさんあるし、とにかくやればとれないことはない。と言うか、逆に言えばマジメにやっている子が怒るんじゃないかというくらい今回は簡単な問題だった。

それで赤点だったから全く同じテストをやるよと、救いの手を差し伸べているにもかかわらず、再テストの結果も30点台だった。記号だって全く同じなんだから、記号だけでも語呂合わせで覚えるだけで20点くらいはあるのだ。そんな問題、ありえないと自分でも思うけど、でも今やほとんど義務教育のようになってしまっている高校だし、だいたい工業高校であって英語はメインではないので、あまりにもひどい子以外は進級させてあげたいという気持ちでやっているのだ。

聞いたら、全く勉強してこなかったという。そりゃそうだろう。やってないからできないに決まってる。

そしてその子は他にもたくさんの教科で赤点が出そうということらしい。

例えば国語。やはり点数がどうしても足りないし、授業態度もよくないというので、漢字をたくさん書いてくるという宿題が出た。今日の1時締め切り。それを、今日は英語のテストもあるし数学の追試もあるし保健のレポートも出さなければならないから延ばして欲しいと頼みに来たので、5時までならいいと伸ばして、それなら大丈夫だからと約束していたのに、4時50分に先生が教室を見に行ったら友達としゃべっていて全然進んでいないとか。

もうダメだからという言葉が喉まででかかったのだけど、「保健のレポートも延ばしてもらったし、数学の試験も延ばしてもらった」と言うので、国語も話の流れで明日の朝一番までということになったらしい。。

なんで締め切りを延ばすのか、と不思議に思われる方もいるだろう。でもここはものすごいジレンマで、私も今回の再テストでまた赤点を取られたとき、「この子にもう一度補習をしてやろうか」としばし悩んだ。

なぜそんな風に考えてしまうか。それは彼らをそうやって切ったとき、彼らがそれを自分の傷として、今後伸びていく糧にしてくれるという感じが全くしないから。ただ、「オレは英語ダメだから」ということで片付けられてしまいそうだから。だってあまりにも軽いのである。そしてそういうことの積み重ねが、彼の人生に何の影響も与えなければいいのだが、小さなコンプレックスとして積み重なっていったとき、彼は一体どんな風になってしまうのだろうか。

学校で切って、切られた生徒が社会に出て、例えばバイトや仕事先などで何かに出会い、そこで何かを学んでくれればそれでもいい。学校だけが人生じゃないとは思う。でもこのDくんのように、こちらの気持ちが伝わらない生徒を切ってしまって良いのだろうか。

確かにそんなことは自分で乗り越えるべきことであり、たとえそれがコンプレックスになったとしてもそれは周りの人が解決してあげるべき問題ではないとは思う。しかし、聞いてみると、彼はお母さんがいなくて、お父さんも仕事でほとんど家におらず、ほったらかしだという。そんな彼が学校を辞め、家庭は受け入れてくれるのだろうか。またはそんなことを考える事自体が甘やかしなのだろうか。・・・わからない。

英語は結局、彼には単位をあげないことにした。1年間の積み重ね。私がいくら声をかけても答えてもらえなかったのだからこれは私の敗北だろう。しかし本当に敗北なのかということもよくわからない。
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by blogbebe | 2005-03-15 19:50 |
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