9月29日(水) 現在形とは
2004年 09月 29日
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今日は空き時間に特に緊急にやらなくてはならない仕事がなかったので久しぶりに勉強。うー、やっぱり勉強するといいなー。授業だけやってると、何かとても閉塞的になって行く感じがするんだけど、勉強することで新しい視点が出てくる。授業でうまく行かないことがあっても、次、がんばろうと思える基盤ができて行く感じ。
今日は夏休みに一度読んだ、テイラーの"Cognitive Linguistics"のテンスとアスペクトの章をもう一度読み直した。夏にちゃんと読んだつもりだったんだけど、読めてなかったのかはたまたもう忘れているのか・・・(= =;;
わからないところ(というかいまいちはっきりしないところ)も出てきたりして、今日はなかなか頭を使ったいい日でした♪
英語の時制には未来はなく、現在と過去のみであるということは夏休みに読んでハッとしたところであったけれども、それについて章末の練習問題(のようなもの)に出されていた問いに関して疑問点。
未来の表現にはいろいろなものがある。現在形を使うもの、現在進行形を使うもの、mustなどのモダリティを使うもの、be going toを使うもの、そしてwillを使うもの。そのうちbe going toは既に決定した予定を表すのに対し、willは一般的な未来の表現で用いる。そこまでは良いのだが、willを意図や予定の意味で用いるのは客観的でかたい表現であるとのこと。
昔はshallなんていうのもあったことを考えると、徐々に違った表現が生まれ、以前からあったものを淘汰して行っているのだということがわかる。この話は確かいつかどこかできいたことがある。
しかしbe going toはいつ頃から使われるようになったのだろう。また、comeを使わずにgoを使うということは、goの方がやはり移動に関してはunmarkedなんだろうかということ。
いつ頃から使われるようになったのかということは、OEDを調べなきゃダメですね。といっても、古い英語が読めるわけではないので、本当の意味では調べても理解はできないのですが。
それから、動詞の種類とそのアスペクト上でのふるまいかたの違いということについては、今まで私が考えていなかった部分についてのことが書かれていて、これは面白いと思いました。(夏はそこはさらっと読んじゃったのか?覚えてない)
動詞をperfective(bounded)(例えばtravel from A to Bとかsneezeとか、そのプロセスの始めと終わりを含むもの)とimperfective(unbounded)(like cheezeとかbe tallとかも例に入っていたけど、その内部の状態に焦点が当たっているもの)に分ける。そしてそれぞれの振る舞い方をアスペクト的な観点から見て行くと、現在形を使えるものというのは後者のimperfectiveなものだけだということなのだ。
もちろん、perfectiveな動詞でも、共起する句によってimperfectiveに解釈されるものもある(例えばShe sneezes every morning.←こんな例文じゃなかったんだけどな。。本を学校においてきてしまったのでわかりませんけど、とにかく『習慣』と解釈できるような場合)のでそれについてはOKである。
例文で、She writes novels.という文はOKだが、She writes a novel.という文はダメ。それがなぜかと言うと、前者はnovelsが複数形になっているのでimperfective、したがって現在形でも大丈夫なんだけど、後者はa novelって言った時点でそれはもうperfectiveになるので(小説を一つ書くというのは始めと終わりがはっきりしているということ)、現在形では使えないということなのだ。
うーーーん。なるほど。
そう考えると、「事実」のことに関しては現在形を使うということがあるが(The earth moves round the sun.みたいなの)、それもつまりずっと変わらない事実なのだからimperfectiveということになり、その観点からも説明できるという。
なるほど。
日本語でも、単純な現在形で、その話の時点の話をすることってあまりない。「私は朝ご飯を食べる」って言ったら普通は今食べているわけじゃなくていつもそういう習慣なんだよ、ということを言いたいときにそういう表現を使うわけで、このことは英語だけじゃなくて日本語にも共通しているのだということがわかる。
ふーん。。現在形が現在のことだけを表すわけじゃないというのが日本語も英語も同じであるということも驚き。なんで??と思う。
テイラーに寄れば、ドイツ語では現在形で話の時点のことを表すことができるらしい。全部かどうかは忘れてしまったが・・・明日もういちど確認しなくてはいけません。
本当に現在のことだけを言いたいときには、日本語だったら「〜している」、英語だったら進行形を使わなくてはならないというのもすごくおもしろい。今の話をするんだから、現在形でいいじゃないかと思う。つまり、人間にとっては、今現在だけの話というのはデフォルトじゃないということなんだろうか。
「現在形というのは現在のことだけを表すわけではない」というのは以前から知っていたし授業でも言っていたのだけど、それをperfective/imperfectiveという観点から考えるとこういう風になるのだなあとちょっと感動した。
なぜ夏に感動しなかったのだろうか・・・うーん、いい加減だなあ。
これを理解するためには、ラネカ(1999)も読めと書いてあったので、近いうちに読まなくちゃと思っています。ラネカで唯一前から買って持っている本なので、よく読まなくちゃ損。きっとまた忘れてるんだろうし。
最近のストレスたまり気味状態は、勉強不足にあったようです。昨日池上先生の講義で刺激を受け、よし、あしたは準備室にこもるぞ!!と思っていたのが実行できて嬉しい。今日はよく眠れそうです。
今日は夏休みに一度読んだ、テイラーの"Cognitive Linguistics"のテンスとアスペクトの章をもう一度読み直した。夏にちゃんと読んだつもりだったんだけど、読めてなかったのかはたまたもう忘れているのか・・・(= =;;
わからないところ(というかいまいちはっきりしないところ)も出てきたりして、今日はなかなか頭を使ったいい日でした♪
英語の時制には未来はなく、現在と過去のみであるということは夏休みに読んでハッとしたところであったけれども、それについて章末の練習問題(のようなもの)に出されていた問いに関して疑問点。
未来の表現にはいろいろなものがある。現在形を使うもの、現在進行形を使うもの、mustなどのモダリティを使うもの、be going toを使うもの、そしてwillを使うもの。そのうちbe going toは既に決定した予定を表すのに対し、willは一般的な未来の表現で用いる。そこまでは良いのだが、willを意図や予定の意味で用いるのは客観的でかたい表現であるとのこと。
昔はshallなんていうのもあったことを考えると、徐々に違った表現が生まれ、以前からあったものを淘汰して行っているのだということがわかる。この話は確かいつかどこかできいたことがある。
しかしbe going toはいつ頃から使われるようになったのだろう。また、comeを使わずにgoを使うということは、goの方がやはり移動に関してはunmarkedなんだろうかということ。
いつ頃から使われるようになったのかということは、OEDを調べなきゃダメですね。といっても、古い英語が読めるわけではないので、本当の意味では調べても理解はできないのですが。
それから、動詞の種類とそのアスペクト上でのふるまいかたの違いということについては、今まで私が考えていなかった部分についてのことが書かれていて、これは面白いと思いました。(夏はそこはさらっと読んじゃったのか?覚えてない)
動詞をperfective(bounded)(例えばtravel from A to Bとかsneezeとか、そのプロセスの始めと終わりを含むもの)とimperfective(unbounded)(like cheezeとかbe tallとかも例に入っていたけど、その内部の状態に焦点が当たっているもの)に分ける。そしてそれぞれの振る舞い方をアスペクト的な観点から見て行くと、現在形を使えるものというのは後者のimperfectiveなものだけだということなのだ。
もちろん、perfectiveな動詞でも、共起する句によってimperfectiveに解釈されるものもある(例えばShe sneezes every morning.←こんな例文じゃなかったんだけどな。。本を学校においてきてしまったのでわかりませんけど、とにかく『習慣』と解釈できるような場合)のでそれについてはOKである。
例文で、She writes novels.という文はOKだが、She writes a novel.という文はダメ。それがなぜかと言うと、前者はnovelsが複数形になっているのでimperfective、したがって現在形でも大丈夫なんだけど、後者はa novelって言った時点でそれはもうperfectiveになるので(小説を一つ書くというのは始めと終わりがはっきりしているということ)、現在形では使えないということなのだ。
うーーーん。なるほど。
そう考えると、「事実」のことに関しては現在形を使うということがあるが(The earth moves round the sun.みたいなの)、それもつまりずっと変わらない事実なのだからimperfectiveということになり、その観点からも説明できるという。
なるほど。
日本語でも、単純な現在形で、その話の時点の話をすることってあまりない。「私は朝ご飯を食べる」って言ったら普通は今食べているわけじゃなくていつもそういう習慣なんだよ、ということを言いたいときにそういう表現を使うわけで、このことは英語だけじゃなくて日本語にも共通しているのだということがわかる。
ふーん。。現在形が現在のことだけを表すわけじゃないというのが日本語も英語も同じであるということも驚き。なんで??と思う。
テイラーに寄れば、ドイツ語では現在形で話の時点のことを表すことができるらしい。全部かどうかは忘れてしまったが・・・明日もういちど確認しなくてはいけません。
本当に現在のことだけを言いたいときには、日本語だったら「〜している」、英語だったら進行形を使わなくてはならないというのもすごくおもしろい。今の話をするんだから、現在形でいいじゃないかと思う。つまり、人間にとっては、今現在だけの話というのはデフォルトじゃないということなんだろうか。
「現在形というのは現在のことだけを表すわけではない」というのは以前から知っていたし授業でも言っていたのだけど、それをperfective/imperfectiveという観点から考えるとこういう風になるのだなあとちょっと感動した。
なぜ夏に感動しなかったのだろうか・・・うーん、いい加減だなあ。
これを理解するためには、ラネカ(1999)も読めと書いてあったので、近いうちに読まなくちゃと思っています。ラネカで唯一前から買って持っている本なので、よく読まなくちゃ損。きっとまた忘れてるんだろうし。
最近のストレスたまり気味状態は、勉強不足にあったようです。昨日池上先生の講義で刺激を受け、よし、あしたは準備室にこもるぞ!!と思っていたのが実行できて嬉しい。今日はよく眠れそうです。
by blogbebe
| 2004-09-29 21:33
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