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高校英語教師の授業日記

思ったことなどを時々書いてます
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動機付け
2005年 02月 07日 |
前から2年生の子達とはまあまあうまく行っていたのだが、やはり付き合いも長くなってくるとお互いの呼吸もわかってくるので関係は前よりも良くなってきており、何か反抗されるとか話しかけても無視されるとか、1学期には数人そういう子が何人かいたのが最近はそういうことはなくなった。

しかし、やはり勉強する子としない子の差は本質的にはあまり変わっていない。

みんな、そこそこはやる。以前は全然見向きもしなかった子も、例えば黒板を写すこと、提出物を出すこと、赤点を取らないこと(取る子ももちろんたくさんいるが)など、最低限のポイントは押さえるようにはなってきた。

でもそこに大きな動機付けがあるようにはどうしても思えない。

面白い、と言ってくれる子もいる。わかりやすいと喜んでくれる子もいる。でも、ときどき「なんのためにやっているのだろう」とふと立ち止まってしまう。

私は英語が好きだし、そもそも学校の勉強は全般的に好きだったと思う。特に高校に入ってからは、生物・地学などに特に奥深さを感じたり、やってもやっても終わらない英語の予習、数学の莫大な量の宿題など、ひいひい言いながらも結構きちんとやっていた。そして、その中に何かしらの面白さを見出していた。

でも、彼らはそういうのとは少し違う感じがする。だいたい、工業高校に来る子は「勉強が嫌い」とか「苦手」で来る子がほとんどなのだから当然と言えば当然なのかもしれない。

でも、いくら考えても私とはタイプが違うと感じてしまう。何かもっと違うことに興味を持っているということは明らかである。そんな子達に私なんかが授業をしていて良いのだろうか、と思う。もっと彼らの興味を深く理解してあげられるような人が前に立って授業をした方が良いのではないだろうかと思う。

彼らのことは本当にかわいいと思うし、なんとか少しでも英語ができるようになって欲しいと思う。でも、そんなこと彼らにはありがた迷惑なんじゃないか。

それでもやはり頭の訓練として、教養として、学ぶ必要があるのだろうか。そう思うからこそやっているのではあるが、本当にそうなのか、と時々考えてしまう。
by blogbebe | 2005-02-07 22:41 |
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